友人がムンバイの総領事館で働いていて、
バンコクでも
日本大使館に友人が働いている。
他にも友だちがたくさん。
今年の秋、
じつは
ムンバイにも
バンコクにも
いく理由があって、
でも、都合が合わなくて
行くことが出来なかった。
今、ムンバイの友だちから、
ぼうぜんとしているっていうメールをもらった。
バンコクの友だちとチャットをして、忙しそう。
二人とも政府系で働いているから、
本当に忙しいみたいで。
ふと日曜日、我に返ったら、ぼうぜんとしちゃったんだと思う。
ふたりとも
「なんでこんなことになっちゃったんだろう・・・」
って。
ふたりとも私の大好きな友人で、
ポジティブで強い人たち。
きっと、彼らがいることで、救われている人たちは
現地にたくさんいる。
ふたりとも、
「もう日本では報道はやっていないんでしょ?」
と同じことを聞いてくる。
日本では
「報道」
で終わっても、
現地では今もまだまだリアル。
日本の報道は今は、まだ続いてはいるけど、
報道が終わって、別世界のことになること、
きっと現地の人が一番心配している。
今、現場にいる友人たちを誇りに思うし、
対応のために多忙になっていること、
すごいことだと思う。
一日もはやく平安がくることを、やっぱり、どうしても、祈ってしまう。
2008年11月30日
2008年10月08日
サブプライム、リーマン破綻、金融危機からみえてくること。
この道の専門家に怒られそうですが、
シンプルに、これは、
「環境問題だけでなく、
様々なカタチで、
世界はつながっているのだ。」
ということを再確認するためのものだと思う。
地球の問題は、
まるで、環境問題に象徴されるみたいに
扱われるけど、
経済においても、
同じように、つながりにおいて、
おきてくるわけで。
アメリカが一人勝ちすることも、一人負けすることもなく、
ヨーロッパだって、中国だって、日本だって、他の国々だって影響を受ける。
マーケティングを学ぶと、
SWOT分析や差別化、どう勝つか、
というゲームに詳しくなってくる。
ゲームを楽しむ人は楽しめばよいのだけど。
基本、つながっているわけですから、
自分だけ、みたいにいくら戦略練っても、
継続的にはならない。
つながっているという前提で、
自分がどう貢献し、この場で何が出来るか、
そういうシンプルなマインドが、
この変化の多い社会の波に乗っていくコツな気がする。
世界地図は平面で、つながっていないけれども、
自分達がす住んでいる地球は、
球体で、どう逆立ちしたってつながっているのだ。
お金だってそう。お金はエネルギーだからね。
いいエネルギーが増えていくように、
この変化が、いい方向に向いていくと信じたい。
きっと、シンプルなことに、気付いていくきっかけになるのだろう。
2006年05月06日
世界全人口が私だと地球が4個必要。
昔、NHKのドキュメンタリーで、
「世界全人口がアメリカ人だと、資源や食料の過剰消費により、
地球が5個必要。」
というのを見て、
だめじゃん、アメリカ人〜。
と思っていたのだが、私もいい勝負。
Ecological Footprint Quiz
このサイトは、いくつかの問いに対して、
自分の生活を振り返って答えていくというもの。
環境問題を意識したサイトである。
バーモントでの生活は、一般的ではないので、
自分が会社で働いていた東京生活を思い起こして
答えてみた。
すると、
軽く4個の地球が必要なくらい、資源を消費していることが判明。
出張等で、北米を行き来して、国内線でちょっと飛んだだけで、
年間25時間以上のフライトをしていることになり、
その燃料の多さにより、
一気に、地球の数が跳ね上がる。
(これがなければ、地球の数は半減するのだが)
一緒にやった、旅が趣味で、
しかも北米に住んでいるため、頻繁に車に乗る友だちは、
地球7.2個必要だった。恐るべし。
さすがに、この結果を見た次の日から、
テイクアウトで、紙容器を使うのをやめ、
面倒でも、食器にご飯を乗せて、後で返しに行くことにしたのでした。
ちなみに、このサイト、
ちゃんと、この地球の数を減らすための
アクションプランを作るページもある。
よくできたサイトである。
ドキッとして、なにか行動を起こしたい方、おススメです。

バーモントの新緑 posted from フォト蔵
バーモントの新緑▲
この美しさを分けてもらっていることを思うと、
もっと生活を見直さないと、と思わざるをえません。
「世界全人口がアメリカ人だと、資源や食料の過剰消費により、
地球が5個必要。」
というのを見て、
だめじゃん、アメリカ人〜。
と思っていたのだが、私もいい勝負。
Ecological Footprint Quiz
このサイトは、いくつかの問いに対して、
自分の生活を振り返って答えていくというもの。
環境問題を意識したサイトである。
バーモントでの生活は、一般的ではないので、
自分が会社で働いていた東京生活を思い起こして
答えてみた。
すると、
軽く4個の地球が必要なくらい、資源を消費していることが判明。
出張等で、北米を行き来して、国内線でちょっと飛んだだけで、
年間25時間以上のフライトをしていることになり、
その燃料の多さにより、
一気に、地球の数が跳ね上がる。
(これがなければ、地球の数は半減するのだが)
一緒にやった、旅が趣味で、
しかも北米に住んでいるため、頻繁に車に乗る友だちは、
地球7.2個必要だった。恐るべし。
さすがに、この結果を見た次の日から、
テイクアウトで、紙容器を使うのをやめ、
面倒でも、食器にご飯を乗せて、後で返しに行くことにしたのでした。
ちなみに、このサイト、
ちゃんと、この地球の数を減らすための
アクションプランを作るページもある。
よくできたサイトである。
ドキッとして、なにか行動を起こしたい方、おススメです。

バーモントの新緑 posted from フォト蔵
バーモントの新緑▲
この美しさを分けてもらっていることを思うと、
もっと生活を見直さないと、と思わざるをえません。
2006年03月01日
イスラム教徒の声を聞く。「デンマーク風刺漫画問題」
今日は午後、
学校の多文化トレーニングの一環で、
「イスラム教徒の声を聞く〜風刺漫画問題を通して〜」
というワークショップが開かれた。
会場には、デンマーク人2人(先生も含む)、
イスラム教徒5〜6人がいた。
オープンディスカッションなので、
周りには、他の生徒も40人ほど、円になって座っている。
最初に、注意が促される。
発言するときは、「I(私)」を使って話すこと。
あくまで個人意見として発言すること。
また、相手を責めるような言葉は使わないこと。
センシティブな内容に対して、大切なルールだ。
ディスカッションが始まるとすぐ、
インドネシア人の男性が手を挙げた。
「この問題は、漫画だけではなく、イスラム教徒への理解不足が原因となっている。」
彼は感情的にはならず、むしろ、穏やかに、呼吸をするようにこういった。
「僕にとっては、ムハンマドがまだ生きていたら、彼がどう反応するのかが大切。
はたして彼は怒るだろうか?
彼は、生きているころ、迫害にあっても怒らなかったからだ。
しかし残念なことに、
インドネシアでも、キリスト教、イスラム教の衝突が起きるようになった。
なぜ、他宗教を認められないのだろうか。
彼らが、イスラム教徒をテロリストとみていること、それがまた悲しい・・・。」
それに続いて、もう一人のインドネシアの女性が話す。
彼女は、
足長おじさんに会いたい想い。〜イスラム教と語る〜
を話してくれた、まじめなイスラム教徒である。
「こんな体験をしたのははじめてです・・・。」
彼女の声は力なく、そのまま泣き出してしまった。
でも、発言するのは使命だと思ったのか、涙を拭いてこう続けた。
「私が思うのは、教育が足りていないということです。
宗教に対する教育が足りていないのが問題なのです。」
それにアメリカ人が続ける。
「たしかに、アメリカではディズニーのアニメでイスラム社会をのぞくくらいで、
ぜんぜんイスラム教のことをわかっていないわ。」
と言った。
私も、ドキッとした。
これは日本にも言えること。
日本は、仏教や神道がベースにあるが、
イスラム教やキリスト今日ほど、強い宗教を持っている人が少ない。
授業などを通して、他宗教を深く学ぶ機会は少ないのではないだろうか。
イスラム教徒やキリスト教徒、ヒンズー教徒など、
それぞれの宗教で、彼らがどのように信仰し、
何を大切にしているのか、それは、グローバル社会で生きていくためには、
必ず必要な知識だろう。
たとえば、イスラム教徒にとって豚肉を食べることはタブーとされている。
ところが、日本のコンビニには、たまごサンドイッチにまでなぜか豚肉が入っている。
日本に来たイスラム教徒はコンビニで、口に入れるものを探すのに苦労をする。
そこで、神様との約束を守るために、必死に豚肉を避けるその苦労、
そして、思いまでをも、私たちは理解できるだろうか。
校内のキリスト教(カトリック)の生徒も、
イースターに向けて好きなもの断ちをはじめた。
友だちは、お昼を食べない、と決めたようだ。
そういうことを、知っておくこと、
そして、尊重すること。
深く理解することは難しいかもしれないが、
これは、日本での国際教育には必ず入れたい内容である。
ワークショップの最後のほうで、アメリカ人が質問をする。
「デンマーク政府は謝らないの?今更謝っても遅いのかしら?」
と聞く。
他の人が、
「でも、書いたアーティストや、会社が謝ればいいんじゃないの?」
と言う。
それに対して、参加していた教授が一言。
「海外でこれだけ反応があった場合は、もはや国が責任を取るべき問題です。
そして、謝るのに遅すぎるってことはありません。」
そうだそうだ。
しかし、これも、考えさせられる一言。
ボーダレスになってきて、情報や人や物や金やらが
どんどん国境を行き来するけど、
風刺漫画でこういう反応がある昨今、
国民一人一人が、責任をもって、異文化を理解し、
行動していかなければならないなと思った。
また、日本が戦後の謝罪を戦後50年、60年と行ってきたけれども、
やはり時が経つとその効力は薄まるような気がする。
個人的意見だが、
デンマーク政府に、ずっとこの重荷を引きずらないためにも、
できるだけ早く、謝罪をしてほしいと思った。
会場では、
デンマーク人の生徒と先生が、
イスラム教徒に、深く謝罪をしていた。
きっとこの場は、彼らが「対話」の場を持つために、設定したに違いないと思った。
少なくとも先日メールをくれた彼女の態度からは強い意志が見える。
デンマーク人から学ぶ「デンマーク風刺漫画問題」
こういうひとりひとりの動きが、
世界の相互理解を促すのだ、と実感すると同時に、
ひとりひとりの動きが、ネガティブにも動く可能性があることを
念頭に、一つ一つの行動に責任を持っていかなければいけない、と思った。
学校の多文化トレーニングの一環で、
「イスラム教徒の声を聞く〜風刺漫画問題を通して〜」
というワークショップが開かれた。
会場には、デンマーク人2人(先生も含む)、
イスラム教徒5〜6人がいた。
オープンディスカッションなので、
周りには、他の生徒も40人ほど、円になって座っている。
最初に、注意が促される。
発言するときは、「I(私)」を使って話すこと。
あくまで個人意見として発言すること。
また、相手を責めるような言葉は使わないこと。
センシティブな内容に対して、大切なルールだ。
ディスカッションが始まるとすぐ、
インドネシア人の男性が手を挙げた。
「この問題は、漫画だけではなく、イスラム教徒への理解不足が原因となっている。」
彼は感情的にはならず、むしろ、穏やかに、呼吸をするようにこういった。
「僕にとっては、ムハンマドがまだ生きていたら、彼がどう反応するのかが大切。
はたして彼は怒るだろうか?
彼は、生きているころ、迫害にあっても怒らなかったからだ。
しかし残念なことに、
インドネシアでも、キリスト教、イスラム教の衝突が起きるようになった。
なぜ、他宗教を認められないのだろうか。
彼らが、イスラム教徒をテロリストとみていること、それがまた悲しい・・・。」
それに続いて、もう一人のインドネシアの女性が話す。
彼女は、
足長おじさんに会いたい想い。〜イスラム教と語る〜
を話してくれた、まじめなイスラム教徒である。
「こんな体験をしたのははじめてです・・・。」
彼女の声は力なく、そのまま泣き出してしまった。
でも、発言するのは使命だと思ったのか、涙を拭いてこう続けた。
「私が思うのは、教育が足りていないということです。
宗教に対する教育が足りていないのが問題なのです。」
それにアメリカ人が続ける。
「たしかに、アメリカではディズニーのアニメでイスラム社会をのぞくくらいで、
ぜんぜんイスラム教のことをわかっていないわ。」
と言った。
私も、ドキッとした。
これは日本にも言えること。
日本は、仏教や神道がベースにあるが、
イスラム教やキリスト今日ほど、強い宗教を持っている人が少ない。
授業などを通して、他宗教を深く学ぶ機会は少ないのではないだろうか。
イスラム教徒やキリスト教徒、ヒンズー教徒など、
それぞれの宗教で、彼らがどのように信仰し、
何を大切にしているのか、それは、グローバル社会で生きていくためには、
必ず必要な知識だろう。
たとえば、イスラム教徒にとって豚肉を食べることはタブーとされている。
ところが、日本のコンビニには、たまごサンドイッチにまでなぜか豚肉が入っている。
日本に来たイスラム教徒はコンビニで、口に入れるものを探すのに苦労をする。
そこで、神様との約束を守るために、必死に豚肉を避けるその苦労、
そして、思いまでをも、私たちは理解できるだろうか。
校内のキリスト教(カトリック)の生徒も、
イースターに向けて好きなもの断ちをはじめた。
友だちは、お昼を食べない、と決めたようだ。
そういうことを、知っておくこと、
そして、尊重すること。
深く理解することは難しいかもしれないが、
これは、日本での国際教育には必ず入れたい内容である。
ワークショップの最後のほうで、アメリカ人が質問をする。
「デンマーク政府は謝らないの?今更謝っても遅いのかしら?」
と聞く。
他の人が、
「でも、書いたアーティストや、会社が謝ればいいんじゃないの?」
と言う。
それに対して、参加していた教授が一言。
「海外でこれだけ反応があった場合は、もはや国が責任を取るべき問題です。
そして、謝るのに遅すぎるってことはありません。」
そうだそうだ。
しかし、これも、考えさせられる一言。
ボーダレスになってきて、情報や人や物や金やらが
どんどん国境を行き来するけど、
風刺漫画でこういう反応がある昨今、
国民一人一人が、責任をもって、異文化を理解し、
行動していかなければならないなと思った。
また、日本が戦後の謝罪を戦後50年、60年と行ってきたけれども、
やはり時が経つとその効力は薄まるような気がする。
個人的意見だが、
デンマーク政府に、ずっとこの重荷を引きずらないためにも、
できるだけ早く、謝罪をしてほしいと思った。
会場では、
デンマーク人の生徒と先生が、
イスラム教徒に、深く謝罪をしていた。
きっとこの場は、彼らが「対話」の場を持つために、設定したに違いないと思った。
少なくとも先日メールをくれた彼女の態度からは強い意志が見える。
デンマーク人から学ぶ「デンマーク風刺漫画問題」
こういうひとりひとりの動きが、
世界の相互理解を促すのだ、と実感すると同時に、
ひとりひとりの動きが、ネガティブにも動く可能性があることを
念頭に、一つ一つの行動に責任を持っていかなければいけない、と思った。
2006年02月23日
小泉総理の「世界に向けて開かれた日本」と自分の考え。
こっちに来てから、いまさら、
小泉内閣のメルマガを購読し始める。
漢字が少なく、万人にわかりやすく書いてあって、
よく出来ているメルマガだと思った。
(小学生でもわかる内容になっている)
やはり、政治家はちゃんと国民に通じる言葉を使わないと。
特に、このように、メッセージとして伝えたいことがあるのなら。
今日のメルマガで、
小泉さん曰く、
日本は、外国に対して二つの相反した感情があると。
「舶来尊重主義(歓迎論)」と「警戒論」。
彼の主張は、外資警戒論を歓迎論に変えていこうというもの。
「和魂洋才」というように、日本の良いものを大切にして、
外国のよいものはとりいれていく、と。
海外からの投資だけではなく、
海外からの旅行者を増やしていく(2010年までに1千万人)
というビジョンを持って、小泉内閣は動いているようだ。
実際に、こういうビジョンを持っている、
ということは、その方向に動いていく、
ということだと思う。
それに付け加えて、
ビジョンがなくとも、もうこの
流れ(グローバリゼーションという言葉を敢えて使うが)は
止められないと思う。
10年前から、
「日本は第三の開国の時期だ」
という言葉を耳にしていた。
ビジネスで商品は外に出て行くけれども、
実際に、内閣がビジョンを持って、
このような形で、国自体を開くことは、
日本は歴史の中でも
あまりなかったことなのではないだろうか。
実際に止められない流れを、
いかにポジティブに、良い方向に持っていくか。
どこの国も国を開くことによる
メリット、デメリットを経験している。
日本も、これらの国々から学び、
第三の開国のリスクを見据え、
教育を初めとする受け入れの
基盤を整えなければならないと思う。
これは、自分の問題意識であり、
今後も携わっていきたいテーマでもある。
小泉内閣のメルマガを購読し始める。
漢字が少なく、万人にわかりやすく書いてあって、
よく出来ているメルマガだと思った。
(小学生でもわかる内容になっている)
やはり、政治家はちゃんと国民に通じる言葉を使わないと。
特に、このように、メッセージとして伝えたいことがあるのなら。
今日のメルマガで、
小泉さん曰く、
日本は、外国に対して二つの相反した感情があると。
「舶来尊重主義(歓迎論)」と「警戒論」。
彼の主張は、外資警戒論を歓迎論に変えていこうというもの。
「和魂洋才」というように、日本の良いものを大切にして、
外国のよいものはとりいれていく、と。
海外からの投資だけではなく、
海外からの旅行者を増やしていく(2010年までに1千万人)
というビジョンを持って、小泉内閣は動いているようだ。
実際に、こういうビジョンを持っている、
ということは、その方向に動いていく、
ということだと思う。
それに付け加えて、
ビジョンがなくとも、もうこの
流れ(グローバリゼーションという言葉を敢えて使うが)は
止められないと思う。
10年前から、
「日本は第三の開国の時期だ」
という言葉を耳にしていた。
ビジネスで商品は外に出て行くけれども、
実際に、内閣がビジョンを持って、
このような形で、国自体を開くことは、
日本は歴史の中でも
あまりなかったことなのではないだろうか。
実際に止められない流れを、
いかにポジティブに、良い方向に持っていくか。
どこの国も国を開くことによる
メリット、デメリットを経験している。
日本も、これらの国々から学び、
第三の開国のリスクを見据え、
教育を初めとする受け入れの
基盤を整えなければならないと思う。
これは、自分の問題意識であり、
今後も携わっていきたいテーマでもある。
2006年02月21日
デンマーク人から学ぶ「デンマーク風刺漫画問題」
先週の日曜日のお昼、学校に唯一いるデンマーク人と
ランチの席が一緒になった。
彼女とは、なかなか顔を合わせることがなかったから
なんだか新鮮だった。
そして、チャンスがあったら聞いてみたいと思ったことを
率直に聞いてみた。
「ちょっとした私の好奇心なんだけど、
あの風刺漫画問題、デンマークではどう扱われているの?」
それを聞いたデンマーク人の女性は、
ちょっといやな顔をして、一回ため息をついた。
それを見て私は、
「ごめん。いや、いろんなメディアがいろいろ言っているから、
何が真実かを知りたくて。」
と、あわてて付け加えた。
自分が日本の戦争についての意見を聞かれたら
疲れ果てるくせに、こんなこと昼間から聞くべきじゃなかったと思った。
この学校にはイスラム教徒も沢山いる。
きっと、この質問は1万回くらい聞かれたに違いない。
一瞬間をおいて、彼女は笑顔を作り、
「私は、デンマーク人に怒りを覚えてるわ。そういう立場を取っている。」
と言った。
「あれは、ただの表現の自由をディスカッションする問題ではないから。
今まで、何年もデンマークで続いてきた、異教徒に対する差別が、
ああいう形で明るみになっただけなの。
根深い差別への怒りや悲しみが、
ああいう形で国家間の問題になっているのよ。」
それから彼女は、デンマークを擁護することなく、
客観的に何が問題かを聞かせてくれた。
それは、デンマーク人として、代表して
今回の問題に、反省する覚悟があるように見えた。
「私、これについては、一回自分でも文章にまとめたのよ。」
「そうなんだ!
それ、ぜひ読みたい!!」
その席に韓国の子もいたので、言い出せなかったが、
このケースは、教科書問題に類似した部分があるように感じた。
表面的な問題は、シンプルでも、
本当の問題は、根深く、そして複雑化している。
相手は怒る準備がいつでもあるのだ。
風刺漫画問題や教科書問題は、その引き金になっただけにすぎない。
「わかった。きちんとまとめなおして送るわ。」
そして、彼女は、それ以上話さず、カフェテリアから出て行った。
プエルトリコから帰ってきたら、
彼女が全生徒用のメーリングリストに、
「デンマークの風刺漫画について」というタイトルで、
自分の考えをメールで送っていた。
それはプリントアウトすると5枚にもわたる長文。
冒頭には、
これは個人の意見です、という言葉と共に、
今回の問題に対するデンマーク人としての
謝罪がはっきりと書かれていた。
デンマークは、かなりの数の移民を抱えている国。
その中には、多くのイスラム教徒も含まれている。
しかし、デンマークは、イラクとアメリカの対立において、
はっきりと、アメリカ側に立っている。
そんな中、デンマーク人の13%は、移民を排除もしくは、
これ以上国に入れてほしくない、ということに票を入れている。
今回の問題は、そういった背景から起きたことなのである。
彼女は、そういった現状を伝えた後、
未来への希望、というテーマで最後を締めくくった。
「私は、この問題が明るみに出てよかったと思っている。
去年起きたフランスの移民問題に関しても、同じくそう思う。
これによって、デンマークをはじめ、ヨーロッパは、
今こそ『 対話 』を始めるときだと理解できたからである。
今回のことは、政府の問題以上に、一人一人の中にある感情の問題である。
デンマーク人は、すべて同じ意見を持っているわけではない。
みなそれぞれ違う意見を持っている。
だからこそ、私は、こうやって自分自身の声を伝えていくことが大切だと思う。
今、この学校にいるイスラム教徒の友人達や、デンマークの友人達と、
対話を始めることが、私に今出来ることなのだ。」
彼女のメールに、インドネシア人が感謝の意と共に返事を書き、
また他の生徒もレスポンスをしていた。
自国が国際社会において何か問題を起こした時、
その瞬間に個人として、どういう態度を取るか。
この数秒間の選択によっては、
その問題に深い意味と意義を与える。
そして、問題が起きるよりも、
よりよい解決策を提示できる可能性を創るのだ。
彼女は、
そのことについて、
私に教えてくれたように思う。
===
今日、あなたの言葉をブログで日本の友人たちに
伝えてもいいかしら、と彼女に聞いたら、
「あなたが、私にあの文章を書くように
促してくれたのよ。
もちろん。シェアしてくれてうれしいわ。」
と言ってくれた。
昼の会話がこういう形になってなんだかうれしかった。
ランチの席が一緒になった。
彼女とは、なかなか顔を合わせることがなかったから
なんだか新鮮だった。
そして、チャンスがあったら聞いてみたいと思ったことを
率直に聞いてみた。
「ちょっとした私の好奇心なんだけど、
あの風刺漫画問題、デンマークではどう扱われているの?」
それを聞いたデンマーク人の女性は、
ちょっといやな顔をして、一回ため息をついた。
それを見て私は、
「ごめん。いや、いろんなメディアがいろいろ言っているから、
何が真実かを知りたくて。」
と、あわてて付け加えた。
自分が日本の戦争についての意見を聞かれたら
疲れ果てるくせに、こんなこと昼間から聞くべきじゃなかったと思った。
この学校にはイスラム教徒も沢山いる。
きっと、この質問は1万回くらい聞かれたに違いない。
一瞬間をおいて、彼女は笑顔を作り、
「私は、デンマーク人に怒りを覚えてるわ。そういう立場を取っている。」
と言った。
「あれは、ただの表現の自由をディスカッションする問題ではないから。
今まで、何年もデンマークで続いてきた、異教徒に対する差別が、
ああいう形で明るみになっただけなの。
根深い差別への怒りや悲しみが、
ああいう形で国家間の問題になっているのよ。」
それから彼女は、デンマークを擁護することなく、
客観的に何が問題かを聞かせてくれた。
それは、デンマーク人として、代表して
今回の問題に、反省する覚悟があるように見えた。
「私、これについては、一回自分でも文章にまとめたのよ。」
「そうなんだ!
それ、ぜひ読みたい!!」
その席に韓国の子もいたので、言い出せなかったが、
このケースは、教科書問題に類似した部分があるように感じた。
表面的な問題は、シンプルでも、
本当の問題は、根深く、そして複雑化している。
相手は怒る準備がいつでもあるのだ。
風刺漫画問題や教科書問題は、その引き金になっただけにすぎない。
「わかった。きちんとまとめなおして送るわ。」
そして、彼女は、それ以上話さず、カフェテリアから出て行った。
プエルトリコから帰ってきたら、
彼女が全生徒用のメーリングリストに、
「デンマークの風刺漫画について」というタイトルで、
自分の考えをメールで送っていた。
それはプリントアウトすると5枚にもわたる長文。
冒頭には、
これは個人の意見です、という言葉と共に、
今回の問題に対するデンマーク人としての
謝罪がはっきりと書かれていた。
デンマークは、かなりの数の移民を抱えている国。
その中には、多くのイスラム教徒も含まれている。
しかし、デンマークは、イラクとアメリカの対立において、
はっきりと、アメリカ側に立っている。
そんな中、デンマーク人の13%は、移民を排除もしくは、
これ以上国に入れてほしくない、ということに票を入れている。
今回の問題は、そういった背景から起きたことなのである。
彼女は、そういった現状を伝えた後、
未来への希望、というテーマで最後を締めくくった。
「私は、この問題が明るみに出てよかったと思っている。
去年起きたフランスの移民問題に関しても、同じくそう思う。
これによって、デンマークをはじめ、ヨーロッパは、
今こそ『 対話 』を始めるときだと理解できたからである。
今回のことは、政府の問題以上に、一人一人の中にある感情の問題である。
デンマーク人は、すべて同じ意見を持っているわけではない。
みなそれぞれ違う意見を持っている。
だからこそ、私は、こうやって自分自身の声を伝えていくことが大切だと思う。
今、この学校にいるイスラム教徒の友人達や、デンマークの友人達と、
対話を始めることが、私に今出来ることなのだ。」
彼女のメールに、インドネシア人が感謝の意と共に返事を書き、
また他の生徒もレスポンスをしていた。
自国が国際社会において何か問題を起こした時、
その瞬間に個人として、どういう態度を取るか。
この数秒間の選択によっては、
その問題に深い意味と意義を与える。
そして、問題が起きるよりも、
よりよい解決策を提示できる可能性を創るのだ。
彼女は、
そのことについて、
私に教えてくれたように思う。
===
今日、あなたの言葉をブログで日本の友人たちに
伝えてもいいかしら、と彼女に聞いたら、
「あなたが、私にあの文章を書くように
促してくれたのよ。
もちろん。シェアしてくれてうれしいわ。」
と言ってくれた。
昼の会話がこういう形になってなんだかうれしかった。
2006年02月11日
狂牛病からまなぶ。〜情報を違う視点で見、疑問を持ち、自分で判断すること〜
昨日の牛乳の安全性に関するプレゼンで学んだこと。
情報については、
違う視点から物事をみる目を養い、
それを疑問視し、事実を知る努力をすること、
そして、
その事実を元に、判断し、行動することが
大切だと思った。
*****
昨日の
アメリカ人は牛肉たべてます
にコメントをくれた友達が紹介してくれたサイトがあり、見てみる。
なるほど、こういう見方もあるのだな、と思う。
実は、昨日は、書くのをやめていたんだけど、
アメリカ人の友だちが、オーガニックは大丈夫と
熱弁していたとき、
「アメリカでは、
狂牛病で死んだ牛の肉を
牛のえさに入れちゃうんだ。
だから感染しちゃうんだ。」
と言っていた。
え?牛が牛を食べるなんてことが出来るの?!
とあまりにびっくり。
***
自分でこういうことを書いておいてなんですが、
何を信じるのかは自分できちんと裏を取るしかないですね。
私もうっかりYAHOOニュースで日本の情報を取ったりするけれども、
あくまでいち情報にすぎないと認識しなくては。
***
改めて、ここで牛肉を食べることを考え直させられた。
そして、目の前にある溢れる情報についても考えさせられた。
明日までのレポートに、ひとつのプレゼンのフィードバックを書くというのが
あるのだが、これを考えるきっかけをくれたクラスメイトに感謝の
フィードバックを書こうと思う。
情報については、
違う視点から物事をみる目を養い、
それを疑問視し、事実を知る努力をすること、
そして、
その事実を元に、判断し、行動することが
大切だと思った。
*****
昨日の
アメリカ人は牛肉たべてます
にコメントをくれた友達が紹介してくれたサイトがあり、見てみる。
なるほど、こういう見方もあるのだな、と思う。
実は、昨日は、書くのをやめていたんだけど、
アメリカ人の友だちが、オーガニックは大丈夫と
熱弁していたとき、
「アメリカでは、
狂牛病で死んだ牛の肉を
牛のえさに入れちゃうんだ。
だから感染しちゃうんだ。」
と言っていた。
え?牛が牛を食べるなんてことが出来るの?!
とあまりにびっくり。
***
自分でこういうことを書いておいてなんですが、
何を信じるのかは自分できちんと裏を取るしかないですね。
私もうっかりYAHOOニュースで日本の情報を取ったりするけれども、
あくまでいち情報にすぎないと認識しなくては。
***
改めて、ここで牛肉を食べることを考え直させられた。
そして、目の前にある溢れる情報についても考えさせられた。
明日までのレポートに、ひとつのプレゼンのフィードバックを書くというのが
あるのだが、これを考えるきっかけをくれたクラスメイトに感謝の
フィードバックを書こうと思う。
2006年02月10日
アメリカ人は牛肉たべてます。
こっちにきて、
気になるけど、口に出せなかったこと。
「あの。。。
ビーフ、
召し上がっていますよね。」
ハンバーガーに、ステーキに、
たまにはコリアンバーベキューに、
タコスの中にも、スープの中にも、
もちろん、スープストックもビーフ。
だって、
みんな牛肉大好き!
BSE(牛海綿状脳症)という言葉が頭の隅をいったりきたりしながらも、
おいしそうに、お肉を食べる友人に、
そんな話題はふれられない。
昔、ベジタリアンの子に、
人がおいしく豚キムチを食べている横で
「豚の悲鳴が聞こえる…。」
とぼそっとつぶやかれたのを思い出す。
人が美味しいと思って食べている横で、
余計なことは言ってはいけない。
そもそも、ここで、どれほど安全なのかも実は知らないし。
(意外に厳しいチェックがあったりして?・・・ないだろうなぁ)
***
今日は「ソーシャル・チェンジ」の最後のクラス。
各チームが、社会問題やその解決の為の運動について調べてプレゼン。
8時間、ずっとプレゼンを聞いたり、こっちがプレゼンしたり。
そこで、
遺伝子組み換えにより牛乳の安全性が低くなっているという事実を元に、
それなのになぜ、その事実が知らされず、市場に牛乳が出回るのか、
ということをテーマにプレゼンした人がいた。
結論を簡単に言うと、
乳製品を牛耳っている組織が巨額の財産とネットワークを持っているので、
もみ消されてしまうこと。
そして、政府も、酪農にかなりの額を出して支援しているため、
マイナスになることはしないこと。
が原因になっていた。
見事にその事実がもみ消されていく流れを描いたドキュメンタリーは面白かった。
プレゼンの後に、
この場を逃しては、帰国まで聞くことが出来ないかもしれないと思い、聞いてみる。
「このケースって、BSEのケースと似ていると思うんですけど。
今じゃ、日本はアメリカの牛肉を輸入しない状態にいるのに、
アメリカで、みんながビーフを食べているのに驚きました。
・・・そもそも、BSE知ってる?」
クラスのみんながうん、うん、とうなずく。
そうか、、、知っていて食べているんだ・・・。
「まさに、このケースと一緒で、
メディアなどによって操作されている部分はあると思う。」
とアメリカ人のクラスメイトが答える。
次のプレゼンが押していたので、
休み時間にそのコメントをくれた子と話す。
「オーガニックは大丈夫ってことになっているんだ。」
彼は、牛の安全性を話し始めた。
BSEの出たところの牛はどうやって育っているかなど。
オーガニックはいかに安全かなど。
スイスの子が、
「でも、オーガニックかどうかわからない場合もあるわね。」
と言う。
「ぶっちゃけ、BSEに感染しているビーフを食べている可能性ってあるわけだよね。」
と、失礼承知で、多少前のめり気味に、彼に聞いてみる。
「・・・うん。それはありうるね・・・。可能性は低いらしいけど。」
彼は、少し顔を下に向けて、すぅっと去っていった。
あ、やっぱり私、ベジタリアンの子と同じことをしてしまった。
どうなの、それ!?ねえ!アメリカ!!、、という
ノンバーバルなメッセージが伝わってしまったに違いない。
実際、可能性は低い。
そして、それが、今のアメリカ人の共通認識なのだろう。
昔、ドイツ人の友だちに、BSEが流行ったときに、
ヨーロッパで、ベジタリアンが非常に増えたと聞いた。
でも、アメリカでは難しいだろうな。
「まあね。。。可能性は低いからね。。。」
彼がいっちゃったあとの間を埋めるように、話し始めてみる。
スイスの子が答える。
「私の食べ物のモットーは、
好きなものを食べること。
オーガニックだとか、なんだとか気にしすぎて
食べることがつまらなくなったらいやでしょ。
いつ死ぬかなんて誰にもわからないわけだし。
ちゃんと美味しいものだと自分が思うものを
食べていきたい。」
気持ちいいほど、きっぱりと言っていた。
リスクは避けるのはもちろん大切。
そして、
ちゃんと、自分が美味しいと思うものを
ちゃんと選んで食べればたぶん間違いないだろう。
(少なくとも後悔はない)
とにもかくにも、
言えそうで、言えなかったことが
意外にもクラスの中で言えてすっきりした。
気になるけど、口に出せなかったこと。
「あの。。。
ビーフ、
召し上がっていますよね。」
ハンバーガーに、ステーキに、
たまにはコリアンバーベキューに、
タコスの中にも、スープの中にも、
もちろん、スープストックもビーフ。
だって、
みんな牛肉大好き!
BSE(牛海綿状脳症)という言葉が頭の隅をいったりきたりしながらも、
おいしそうに、お肉を食べる友人に、
そんな話題はふれられない。
昔、ベジタリアンの子に、
人がおいしく豚キムチを食べている横で
「豚の悲鳴が聞こえる…。」
とぼそっとつぶやかれたのを思い出す。
人が美味しいと思って食べている横で、
余計なことは言ってはいけない。
そもそも、ここで、どれほど安全なのかも実は知らないし。
(意外に厳しいチェックがあったりして?・・・ないだろうなぁ)
***
今日は「ソーシャル・チェンジ」の最後のクラス。
各チームが、社会問題やその解決の為の運動について調べてプレゼン。
8時間、ずっとプレゼンを聞いたり、こっちがプレゼンしたり。
そこで、
遺伝子組み換えにより牛乳の安全性が低くなっているという事実を元に、
それなのになぜ、その事実が知らされず、市場に牛乳が出回るのか、
ということをテーマにプレゼンした人がいた。
結論を簡単に言うと、
乳製品を牛耳っている組織が巨額の財産とネットワークを持っているので、
もみ消されてしまうこと。
そして、政府も、酪農にかなりの額を出して支援しているため、
マイナスになることはしないこと。
が原因になっていた。
見事にその事実がもみ消されていく流れを描いたドキュメンタリーは面白かった。
プレゼンの後に、
この場を逃しては、帰国まで聞くことが出来ないかもしれないと思い、聞いてみる。
「このケースって、BSEのケースと似ていると思うんですけど。
今じゃ、日本はアメリカの牛肉を輸入しない状態にいるのに、
アメリカで、みんながビーフを食べているのに驚きました。
・・・そもそも、BSE知ってる?」
クラスのみんながうん、うん、とうなずく。
そうか、、、知っていて食べているんだ・・・。
「まさに、このケースと一緒で、
メディアなどによって操作されている部分はあると思う。」
とアメリカ人のクラスメイトが答える。
次のプレゼンが押していたので、
休み時間にそのコメントをくれた子と話す。
「オーガニックは大丈夫ってことになっているんだ。」
彼は、牛の安全性を話し始めた。
BSEの出たところの牛はどうやって育っているかなど。
オーガニックはいかに安全かなど。
スイスの子が、
「でも、オーガニックかどうかわからない場合もあるわね。」
と言う。
「ぶっちゃけ、BSEに感染しているビーフを食べている可能性ってあるわけだよね。」
と、失礼承知で、多少前のめり気味に、彼に聞いてみる。
「・・・うん。それはありうるね・・・。可能性は低いらしいけど。」
彼は、少し顔を下に向けて、すぅっと去っていった。
あ、やっぱり私、ベジタリアンの子と同じことをしてしまった。
どうなの、それ!?ねえ!アメリカ!!、、という
ノンバーバルなメッセージが伝わってしまったに違いない。
実際、可能性は低い。
そして、それが、今のアメリカ人の共通認識なのだろう。
昔、ドイツ人の友だちに、BSEが流行ったときに、
ヨーロッパで、ベジタリアンが非常に増えたと聞いた。
でも、アメリカでは難しいだろうな。
「まあね。。。可能性は低いからね。。。」
彼がいっちゃったあとの間を埋めるように、話し始めてみる。
スイスの子が答える。
「私の食べ物のモットーは、
好きなものを食べること。
オーガニックだとか、なんだとか気にしすぎて
食べることがつまらなくなったらいやでしょ。
いつ死ぬかなんて誰にもわからないわけだし。
ちゃんと美味しいものだと自分が思うものを
食べていきたい。」
気持ちいいほど、きっぱりと言っていた。
リスクは避けるのはもちろん大切。
そして、
ちゃんと、自分が美味しいと思うものを
ちゃんと選んで食べればたぶん間違いないだろう。
(少なくとも後悔はない)
とにもかくにも、
言えそうで、言えなかったことが
意外にもクラスの中で言えてすっきりした。


