2009年11月09日

ただいま。

バーモント日記時代にお世話になった大学院に久しぶりに帰ってくる。

バーモント日記▼
http://blog.livedoor.jp/madoka602/







全部にただいまーーーっといいたくなる。
澄んだ空気をごくごく飲みたくなってしまう。


これだけ平和で澄んだ場所だからこそ、
平和とかそういうの、学び、語れちゃうのだ。
posted by まどか at 12:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 大学院生活。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月29日

久しぶりに伝えたい:DIALOG IN THE DARK

目をどんなに見開いても
本当に真っ暗な世界。

何も見えない。



そんな空間を作った場所が、
ダイアログ・イン・ザ・ダーク▼
http://www.dialoginthedark.com/




その中をさくっさくっと歩いていく。

テーマは、「僕たちの夏休み」。


懐かしい夏休みの世界が、
耳で
鼻で
触覚で
味覚で
感じ、

見えないからこそ、
自ら創り上げた想像の映像の中で、

小学生の時、
わくわくしていった
キャンプ場、森での昆虫採集、山での探検、

大好きな映画のトトロや、
アルプスの少女ハイジが

鮮明に世界を作る。



真っ暗な中、
全盲のガイドさんにリードしてもらって
歩き回った空間を抜けた時、


久しぶりに味わう、
良質の映画を見終えたような、
なんともいえない充実感が体中に残る。

その後、
自分の開いた五感は閉じることなく、
その後入った喫茶店でのコーヒーの香り、
雨の音、いろんなものが何倍か増しで感じられた。
(次の日には落ち着いてしまったけど(笑))


*****

バーンロムサイ、Xchange、Room to Read、Table for Twoの
取材に引き続き、美元ちゃんと、さくらさんとの取材先は、

DIALOG IN THE DARKに決まった。


まずは経験を、と、まっくらやみのエンターテイメントを経験させてもらって、
その直後、代表の金井さんにインタビュー。

そんな流れ。

*****



けれども、たった一時間強のこの経験が、
感覚に残りすぎて、ぼーーーーーぜん、としてしまった。

この世界観をドイツから日本に持っていらした
金井さんを目の前にすると、
頭で一生懸命考えた感想も何もかも、
ぜんぶ陳腐な感じがして、言葉が選べない。

感性が活性化しすぎて、
言語が出てこなくなってしまったのかもしれない。



*****


ふたつ強く思ったことがあった。


■マトリックスの世界なのかもしれない。

どんなに目を凝らしても、何も見えない。

見えないと人はどうするかというと、
過去の思い出や経験をつなぎ合わせて、
バーチャルに世界を創造し、その物語の中に入る。


でも、たかだか視界が真っ暗になっただけで、
これだけ世界を作ってしまっているわけである。

全盲の人の世界はどうなんだろう、と思う。
すたすたと真っ暗闇を歩いていくガイドさんだった
彼の世界はどの記憶と結びついているのだろう。

いや、
一緒に暗闇を歩いた8名全員、
視覚以外の五感をフル活動させながら、
それぞれ全然違うバーチャルな世界を作り出し、
真っ暗闇の森や牧場、喫茶店を通り抜けたに違いない。


たとえ、そこに光があり、同じ景色を見ていたって、
実は全く違う過去の記憶や、感情を共にしながら、
いろいろな物語とともに、個々はそこにいるわけで。

人は見たいように見ているし、聞きたいように聞いている。
勝手にそこで、その人の世界が生まれている。


そういうこと、って、なんだか腹オチする感覚があった。



■見ることをあきらめてしまえば、楽しめる。


今回初参加だったまっくらやみのツアー。
多少の緊張はあった。少し肩に力が入っているのを感じる。


けれども、真っ暗闇に入る前に、
金井代表が、私の横でぽつり。




「見ることをあきらめちゃえば、楽しめるよ」




・・・。

コロンブスの卵。

見えないことのドキドキ感から、
見えないってことを楽しんじゃえばいいというワクワク感が
むくむくと芽生える。




8人グループの先頭で、全盲のリーダーに手を取られつつ
真っ暗闇はいった私は、足もとの「さくっ」という
ふかふかの土を踏む感覚を確認しただけで


「たのしーーーーーーーーー!!!」


と叫んでしまった。
その後も、真っ暗闇で何が出てくるかわくわくしっぱなし。
なんでもかんでも触って、発見を楽しんでしまった。



じつは、この

「見ることをあきらめちゃえば、楽しめるよ」

という言葉が、あの日、
一番心に残って、一番貴重な言葉であり、ギフトとなった。




これは、今の自分にも言えるオールマイティな言葉で。

この言葉の威力は、

「みえない、みえない」って思いながら目を凝らして、不安になって、
一時間のツアーが終わったらどっと疲れるところを、

視覚を閉じたことで他の五感がばんばん開いて、
その感覚をわくわく楽しみっぱなしの一時間に変えてくれているほどなのだ。



この言葉の意味は、

アクセプタンス(受容)すること、だと思った。


未来を考えること、
自分はまだまだだ、と思うこと、
周りが気になっちゃうこと、

いろんな感情や思いで、いつも頭も行動もいっぱいいっぱいだけど、


今の自分は、今の自分。
そうなんだって思って、
それを楽しむこと。

今を見失わないこと。
今を五感でじっくり感じること。


「見ることをあきらめちゃえば、楽しめるよ」


それは、ネガティブな「あきらめ」じゃなくって。
見えないことを認めちゃえば、他にあるものを使って楽しめるよってこと。




代表の金井さんは、
暗闇で人は自由になれる、とおっしゃっていた。


この言葉は深いのだけど、ネタバレだらけになると申し訳ないので、
興味のある方は予約して是非ご参加くださいな。



言葉にするのはもったいない、体験型の物語。
個人個人でも物語は違うし、一緒にいたメンバーでも、
その日のガイドの方でも、その季節でも、
その度に物語は変わっていく。



久々に「ブログに書いてみたい!」という感動を感じたので、シェアしてみましたー。
posted by まどか at 00:59| Comment(2) | TrackBack(0) | ご紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

日本が誇りに思ってもいいこと。

天皇陛下がご成婚されてから50年が経ち、
実は、そのご成婚記念事業として生まれたのが、
国際青年交流事業である。



50年前。。。
当時は、青年が自ら海外に出ることは難しく、
世界と自ら繋がるには、それを支援するものが必要だった。


それから50年。
内閣府(元総務省)が中心となり、
日本人青年が、多様な世界を知るために、
海外と繋がりを生み出す、様々な事業が行われてきた。


ASEAN10カ国の青年と東南アジアを約50日間かけて周る東南アジア青年の船。
中近東や、アジア、アフリカ、アメリカ、オセアニア、ヨーロッパから
バランスよく参加国を選び、12カ国と一緒に世界を周る世界青年の船。
ラオス、カンボジア、ラトビア、ドミニカ共和国と日本。
1対1の国の関係で相互理解を深める航空機派遣。
中国、韓国との相互理解や、
NPOのリーダー達がお互いの国の事情を学びあうプログラムもある。



なぜ、日本政府はこれらの事業をずっと続けているのか。

日本は島国で、積極的に外に出て行かないと見えてこないことがある。
ミステリアスと言えば聞こえはいいけれども、交流なくしての日本の存在は、
他国から容易には理解しがたい。
そこに、他国から青年達を招へいし、日本との繋がりを生み出してもらい、
また、日本青年も、海外へ派遣され、世界と繋がる。


こういった事業を50年、続けてきているのだ。



いつも思うのだが、
平和は勝手には生まれてこない。
国連だって、気がついたらそこにあった訳ではない。
平和を願う思いから、それぞれの国々が集い生まれたものである。

今は当たり前のようにあるNGOやNPOだって、
朝、目が覚めたら出来上がっていた言葉ではなく、
何十年も前からの、平和への思い、よりよい社会作りへの思いから
生み出されたものなのである。



ビジネスと違って、交流や、育成事業というのは、
成果が見えづらい。しかし、この活動に価値を見出し、
国が誇りを持って続けていること、
それは、日本がただ経済的に豊かなだけでなく、
精神的にも豊かである、世界に貢献しようという思いがある表れなのかもしれない。
そういう思いから生まれていることを、この事業を中心に行っている方から、
お目にかかるたびに学ばせていただいている。


今日は、この事業のひとつのレセプションがあり、

そこには、皇太子殿下がいらしてくださり、
温かく周りの方々とお話をしてくださっていた。


内閣府特命担当大臣(少子化対策担当・男女共同参画担当)の
小渕優子氏もいらしていた。

世界から集まった青年たちと日本人青年。
それぞれの国の大使もいらしている。
会場は300人ほどの人が集まっていたようにみえた。


その会場にいる18〜30歳ほどの参加青年の方々は、
エネルギーにあふれ、前向きに自分が訪れる国との
つながりに期待をもち、積極的に交流をしていたようにみえた。


こういう場が50年続いてきたこと。続けようとされてきたこと。

日本は平和だというけれど、それって勝手に生まれたものじゃない。
改めてそう思ったし、この場に改めて感謝したくなった。
posted by まどか at 00:31| Comment(4) | TrackBack(0) | いろいろな国と。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月30日

今日から、ラトビアに行ってきます!

ラトビアといえば。。。


バルト三国!
って教科書で習ったな。。。って
「ラトビア行く!」という度にかえってくるコメント。

出張で行くので、土曜には帰ってきます。
日本政府が主催する、
日本と、バルト三国の友好親善のためのプログラムの
セットアップ要員で行くことになりました。

バルト三国は生まれて始めて。
ロシアの影響を特に受けているところも初めてな気がします。
そこと、日本との繋がりを見つけ、それを結び付けつつ、
新たな出会いを楽しんできたいと思います。




帰ってきた土曜は、その足で、パシフィコ横浜で開催される
グリーン・エキスポへ。
http://greenexpo.jp/

「夢を捨てない働き方」という大きいテーマで、
対談をさせていただくことになりました▼
http://greenexpo.jp/docs/ge_omote_mail.pdf

ご一緒する玉田雅己さんは、
NPOバイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター(BBEDろう教育センター)の
代表理事をされている方。
企業で働きながら、週末企業でろう教育を開拓された、
力強い物語を持っていらっしゃる方です。

私はともかく、玉田さんのお話は、思いだけではなく、
実績に基づいていらして、心が動かされると思います。
対談とはいい上、いろいろお話を伺ってみたいと思っています。


ではでは、3時間後には出発ですが。いってきます。
posted by まどか at 03:05| Comment(3) | TrackBack(0) | いろいろな国と。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ぜんぶの家具が、いろいろなところへ。

今回の引越しの私なりの快挙といえば、
自分の部屋にあった、すべてのもの、
例えば、ベッドとか、
母が嫁入りの時にもってきたアンティークの
大きな棚とか、鏡とか、イスとか、
小さなテーブルとか、アフリカに持っていった
バックパックとか、
そういった大型なもの、すべて
お友だちにそれぞれもらわれて行ったということ。

私の部屋は見事にからっぽ。
ぜんぶ、持って行きたいお気に入りだったけど、
新居ではどうしてもおけるところがない。

そしたら、ちゃんと、ちゃんと、
新しい持ち主が現れてくれたのでした。


実は、この快挙の裏には、
母が二週にわたって週末に開いた
オープンハウス作戦が効いていたりする。

5人家族が40年近く持っていた
店を開けるほどの食器の量と、
図書館が開けるほどの本たち。

家具はもちろん、家電、
インテリアの飾りや、絵や、楽器や、
調理器具からなにから、
いろーーんなものが、たーーーっぷりある。

安価でも売っちゃえば?という話も出たけど、
せっかく思いを持って集めたもの。
大好きな友人たちにもらってもらいたい、というのは
母のアイデアであった。

すべての戸棚をあけて、
奥にしまってあったダンボールも開けて、
全部の部屋のドアも開けて、

どうぞ好きなの持って行って!!

とずっとやっていた。

私はあまりのすごい状態に、自分の友人たちは積極的に
呼ばなかったのだが、結局最後のパーティは
ダンボールが積み重なる中、家族の繋がりのある方々が
50名以上集まった。


大切にしていたものを、
みな嬉しそうに貰って行ってくれる。
それをみて、こちらもとっても嬉しい。

自分よりバックパックの似合っている人が、
愛用してくれていたり。
いい味の出たアンティークの家具が、
幼馴染のもとへ行く。

なんだかとっても嬉しい。


今回の引越しを踏まえて、
自分の新居の冷蔵庫や洗濯機は
レンタルにした。
レンタルにすると、新品を手に入れて、
しばらく使って返した後、
それが中古のレンタルとして
リサイクルされ続ける。

ノマドな生活をする身としては、
そうやって、自分のものがいろいろ循環していくシステムが
心地がいい。自分の部屋にだって、
兄妹や友人から貰ったものが活きていたりするし。


そもそも、自分のものだから、捨ててしまおう、
って思うのってもったいないのかも。
結局、みんなのもので、必要な人、縁のある人のところへ
モノだって動いていくのが健全なのかも。

posted by まどか at 03:03| Comment(0) | TrackBack(0) | すてきな人々。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月23日

20年の別れと出会い(1)

小学5年生から、
今に至るまで住んでいた実家。


その間、1人暮らしがあったり、
海外留学や海外での仕事など、
実はずっといたわけではなかったのだが、
絶対に帰ってくる場所であった自分の根っこ。


私は、ノマド(遊牧民)なんていいながら、
この大きな根っこがあるから、
自由でいられたんだと、この5ヶ月なんども痛感する。

世界中どこにいっても、帰る場所がある、
というのは、全然違う。
帰る場所があるから「旅」になるのだ。



誰が計算したか忘れたが、
年間のべ1000人は遊びに来ていたであろうという、
サロンのようだった我が家。
家族も多いので、それぞれの行事にあわせると、
いつも誰かがやってきている家だった。

どこにいても、帰ればそこに友人が集まり、
朝まで語らっていく。
ここがあれば、何でも生まれていくような、
いいエネルギーにあふれたところだった。

家族もお気に入りの場所で、
実家以上の場所は誰も見つけられなかった。
それぞれが自由でいられるつくりで、
シェアハウスのように、それぞれが好きにしていられた。


20年帰る場所でいてくれたそんな実家ともお別れ。
自分のものはすべて1人暮らしの家に持っていかないといけないため、
31年間残しておいたものは、ほとんど処分した。
その作業は予想以上にチャレンジングだったが、
引っ越し終わって、「今の自分には、これがある」というのを
はじからはじまで分かっている、というのは気持ちがいい。

自分のこだわりか、執着か分からないものや
過去の思いと向き合い続けるのは、結構体力がいるものだが、
自分ってこれ以上でも、これ以下でもないな、という感覚が
最終的に残るのが面白くもあった。



父が亡くなってからの5ヶ月は、
ほとんど人にも会わず、自分の歴史にはないようなくらいの長さと深さで、
外より内に旅し続けるようなそんな時間だった。

もちろん家のこと、父のことの整理が内にこもる仕事だったというのもあるが、
今の自分に、どうしても必要なプロセスだったのだと思う。


今日で、移転届けも出し、新しい視野も手に入れ、
明日からは、再スタートとなる、そんな気持ちでいる。

新しい出会いに関しては、またおいおい書いていきます。


今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
posted by まどか at 18:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 思うこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20年の別れと出会い(2)


ちょっと軽めの話ですが。




小学5年生から、
ずーーーっと一緒にいて、
なくては生きていけない存在があった。

悔しいかな、アフリカにいったって、
世界どこへいったって、
絶対に必要。自分の一番近くにい続けた存在。

多分数ミリの間もなく、一緒だった。


それとも今日、さよならした。




それは、、、

コンタクトレンズ(眼鏡)。




どんなに荷物を軽くしたくたって、
コンタクト用品は手放せず、
眼鏡も必需品。
家でのリラックスタイムだって、
これなしでは、リラックスすらできない。


この際の勢いでレーシックしてみました。
昨日検査をしてもらい、勢いで今日、手術。
運よく午前中が空いていた。
タイミングを逃すと、仕事に支障をきたす。

今しかなかった。


目の手術の関係で、
丸一日ノーメーク。
化粧水や香水もつけちゃいけない徹底ぷり。

完全ノーメークで、東京を歩いたことなんて、
高校生以来なのでは。。。
家でも多少気を使っていたのに、こんな日が来るとは思わなかった。

でも、意外に大丈夫だった・・・。
あ、なんだ、別にたいしたことないな、って思えて、
それはそれで新鮮。(ってこれに慣れてはいけないが。。。)

手術は、
改造人間になるようなかんじで、
びびびっと終わり、名医さんに感謝。
看護婦さん(?)たちもすごく素敵で、
いいところで、手術が出来てよかった。


手術後はぼやっとしているのだけど、
クリニックを出る頃にはなんとなく見えてきて、
すごいなあ、、、、と思う。


仕事の関係で、平日に動けるチャンスのが当分ないので、
この勢いで区役所に移転届に行った。


「手術後は、安静にしていたほうがいいよ」と
レーシック経験ありの友だちに言われていたのに、
とはいえ、今しか区役所にいけないと行ったら、えらいことに。


移転届けを記入しているうちに、
目がしばしばしてきて、




涙が滝のように出てきた!!!!!!!!!!!!!!




目が痛くて開けられないし、
涙は延々とまらない。


まわりから見たら、
「移転届けを書きながら大号泣の女性」である。

想像力豊かな人なら、
いろんな妄想が・・・。
よっぽどのことがあっての移転だろう。。。と。
(しかも30前後の女性だし。。。(笑))



係りの人に号泣しながら、
「いや、あの、手術したばかりで、ごめんなさい。
 その副作用なんです」
と無駄に説明する。

そういう理由なんです、と館内放送してほしいくらい、
派手な泣きっぷりで、通る人は、なんとなく見てる。

泣いているというか、
自動に涙が流れている、というかんじ。
しかも目が開けられず、しめっぱなしで。



区役所の担当のみなさま、ごめんなさい。


よりにもよって、色々な手続きがあったので、
いろんな方に号泣っぷりを披露。

その後、銀行などにも行こうと思ったが、
涙が出すぎてめまいが起きたので、帰宅することに。


結局夕方の検診にいったら、これは、よくあることだそう。
視力も安定していたりして、実は手術後の経過はすこぶる良いようだった。




20年、いつもいつも一日欠かさず一緒だった
コンタクトレンズ、眼鏡との別れ。


そして、新しい視力で、
目を覚まして、寝るまで、
そのままでいられる自由。


この別れと、そして、出会いは、
自分をぐっと自由にしてくれた。
posted by まどか at 18:14| Comment(6) | TrackBack(0) | 思うこと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

今年の抱負と誕生日。

年始のブログで宣言していた今年の抱負。


「今年は、「決める」年にしたいと思います。
 ばーーーっと広げた昨年に対して、
 責任を持って「決めていく」1年。」
 
 
そんなこと言っていて、
その時予想だにしていなかった、
大整理の6ヶ月を過ごし、


6月2日の誕生日には、
新しい仕事と
新しい住まいが決まり

いやがおうでも、
「決める」年の31歳の始まりとなったのでした。


父のことで、祖父の代からの大整理があり、
引越しに際して、自分も幼稚園時代からの身辺整理が始まり。

その先にはある程度の「決め」がないと、
すすめないこともあり、
執着か、こだわりか分からないものと向き合いながら、
できるだけ自分を身軽にする移動をしないとと思ったり。
(やはり遊牧民(ノマド)なのか・・・)


大整理の中で、孤独と対峙することは多々あるわけだが、
誕生日の日に、たくさんのメッセージをもらって
エネルギーがぐっと上がった。

興味深かったのは、
最初にメッセージが来たのは、中国をはじめとしたアジア地域から。
2日になったばかりの深夜は、「私ってアジア人の友人が多かったんだー」って
思っていたのだけど、それが、世界地図を動かすように、ヨーロッパやアメリカ、アフリカへと
移行していき、時差のタイミングでそれぞれからメッセージが送られてきた。
(日本の友人からは、一日中メッセージが届いてうれしかったー!!)


なんだか、地球の自転と共に、お祝いされている感じがして、
ここまで大変な6ヶ月だっただけに、より深く感動をしてしまった。

自由に、のびのびとやってこれたのは、
家族がいて、友人がいて、いい仲間がいるから。
そのルーツが見えなくなると、どんな自由をもらっても、
身動きがとれなくなる。

本当に、愛すべき大好きな人たちと繋がれて、
そして、それを感じられ、感謝できるお誕生日という日があって
本当によかった!


改めてありがとうです。
posted by まどか at 12:24| Comment(6) | TrackBack(0) | すてきな人々。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月14日

【次の関門】豚インフルエンザ

飛行機に、コンテナがつまって帰ってこれなくなったけれども、
次の日に飛行機で帰国するにあたって、まだ関門があったことに気がつく。

豚インフルエンザ。


本当に、
無事に帰ってきたからのんきにブログをかけるけれども、
実際、この11日のアメリカ滞在中のことなんて
書くことも出来ず。うっかり感染して帰ってきたら、
非国民扱いされるのではないかと。。。

ちょうど出国した11日前くらいは、
メディアでどれだけ騒がれていたかは皆様、ご存知の通り。

出発直前に、
感染疑いの人がラップにくるまれている写真とかみて、
結構どんびき。

JALの飛行機では、飛行機に載った途端、
豚インフルの現状をNHKとCNNで伝えているものを
ご丁寧に見せてくれ、つばを飲み込む勢い。

だいたいGW中なのに、私の人生史上最もすいている
成田空港を目撃し、がらんがらんで、あまりに人がいなさすぎるから、
店員さんやら、税関の人とおしゃべりしちゃうくらい。

ロスについたら、テレビで見た青いマスクの人々がちらほら。
なんだかリアルになってくる。




でも、それでもここに来ても大丈夫と思えるのは、
現地の友だちたちがいるから。
日本では911か!?っていう位、連日メディアで
深刻に報道され、日本では感染者がひとりもいないのに、
恐怖ウィルスの真っ只中にいるような状態だった。

でも、案の上、アメリカでもメキシコでも
そんなものは、現地の友だちにいわせればどこ吹く風、のことで、
普通のインフルエンザでも毎年何万人も死んでいるのに、
「豚」とついただけで、こんなに騒がれることを不思議がる。

むしろ、どこ吹く風にならないのは、
政府やメディアの過熱報道ゆえに、
観光客がまったくこなくなったメキシコ。

観光業で成り立っているのに、
彼らの町にくるクルーズも全部中止。
お客さんがまったくこない、という都市も少なくない。

現地の人たちは元気で、明るく働く気があろうとも、
誰も現場に来てくれないのだ。
メキシコから来た、というだけで、彼らを隔離した国もある。


人の命を守ることは政府やWHOの役割であり、
大切なことだと思う。また国々で情報をシェアし合い、
感染の拡大を抑えたことはすばらしいことだろう。
21世紀だからこそ出来たことかもしれない。

ただ、一方で、
不安を煽るようなメディアや政府の態度が、
「メキシコ」とひとくくりにされてしまう、
メキシコ全土に広まった人たちの
生活をどれだけ圧迫していることか。


実際は、感染者の数から言えば、
ロスやラスベガスなど、私が滞在した都市の方が、
メキシコの片田舎より多かったりするのだが、
「メキシコが危ない」というステレオタイプの元には
そんなことも関係ない。

メキシコの友だちは、
「大丈夫?」といわれることにだって怒りを感じている模様。
大丈夫に決まっているだろ!!と。

Up with Peopleのメキシコツアーも大統領謁見のイベントが
予定されながらも、全都市中止。
ショーをやるときに、人がひとつの場所に集まることが危険とされ、
スポンサーから断りの申し出が来た。


とはいえ、危険だという地域に乗り込むからには、
絶対に感染しないというセルフコントロールが必要。

帰国前の数日間は、
多分、プロボクサーの試合前調整並に、
生まれて始めて、こんなに体に気を使う日々を送った。

ビタミン剤をカリカリたべ、
ビタミンジュースをごくごく飲み、
お酒を飲んで喉が焼けると、成田で誤解を受けるかもしれないと、
お酒も控え、その代わりに喉を温めるスープを飲んだり。
夜は、元気にも関わらず、首にタオルを巻いて、風邪を予防。

豚インフルには絶対にかからない自信があったが、
成田で、疑いでもなんでも、ホテルや病院送りになるのも勘弁!と
思っていたし、メディアで十分すぎるほど、そういう可能性があるのを
見ていたから。


体調はすこぶるいいのに、
なんで帰国に、こんなに緊張しなきゃならないんだ、と思いつつ、
そういう地域に足を踏み入れた責任とプライド(?)で
かなり頑張ってしまった。

でも、実は、このメンタリティは
「(万が一でも感染して)人に迷惑を絶対にかけてはいけない」
と思う、日本人独特のものではないかと思う。
いくら安全で、問題がないと分かってはいても、
周りに申し訳ない。日本人として、リスクをとるべきではないのだろうか、
とか、意外にもこんな気持ちが何度か出てきた。
アメリカ、メキシコのの友人達と話していると、そういうメンタリティに
驚かれるし、それが日本なのだね、と言われてしまう。
そして、それを否めないしね。
ある意味、日本独自のよく出来た教育(洗脳?)である。



ロスについたら、ロス帰りの人が感染疑いのニュースがながれ、
ラスベガスについたら、同じようなのがラスベガス帰りの人で起きたとニュースがながれ、
その後渡航予定の場所はすべてリスクがあるようにさえ感じた。


JALのフライトアテンダントがみんなマスクをしていたり、
成田に着陸するなり、青い服と白い大きなマスクをした人たちが
乗客の健康状態をチェックしたり。
普段では見られない、なかなか緊張する光景である。
こんなに緊張度の高い渡航が今まであっただろうか。いやない。



まあ、無事に帰ってきたからブログにかけるのだが、
この報道や一連の動きに関しては、
納得するところと、なんだかすっきりしないものがふたつ残った。




最後に、
一日もはやく、メキシコに観光客が戻り、
元気で明るいメキシコ人の人たちの生活がもっと明るくなるように祈ります。
posted by まどか at 08:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事問題。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

【帰国できず】ロス空港でJAL機がコンテナ吸い込む

実はアメリカにしばらくいたのですが、
ようやくの帰国。しかも、JAL♪と思っていたら、
思いっきりスタックをくらいました。


飛行機のエンジンに、コンテナがつまるってなんやねん!って
言葉じゃわからないと思うので、こちらをどうぞ↓

http://www.asahi.com/international/update/0512/TKY200905120299.html
http://www.dailybreeze.com/news/ci_12346101

飛行機はふつーに走り出していて、
私は、空気クッション作って居眠りしていたら、
いつの間にか飛行機は止まっていて、
「第一エンジンにトラブル発生。
 荷物全部もって、外に出てください」
とのアナウンス。

???

と思いながら263人の乗客と外に出てびっくり。



エンジンにコンテナが詰まっている!!


なんでだ!!!(みんなで写真とりまくり)


そのまま7時間ほど空港でスタックをくらい、
最終的に今はヒルトンホテルの一室で
ひさびさのブログ更新中。

帰国チケットを手に入れるために、
長い列を並んだ仲間達と
すっかり仲良くなり、
お詫びにもらった空港の食券で飲み会してから
ホテルへ。

マスメディアもあとからあとから来て、
FOXとか、インタビューとかいろいろあって。
かなり笑えた。

なぜか日本人は(豚インフルのせい?)少なく、
「JALめーっ(怒)」と怒っている外国人(ここでは私が外国人だけど)を
見ながらすみません、と日本人代表で思ってみたり。

一緒にいたのが、アメリカ人の弁護士だったので、結構迫力ありました。
JAL訴えられないかな、ハラハラ。


ヒルトンのホテルで、夕飯と朝ごはんもついて、明日帰れること。(もちろんJALが提供)


なんだかどっと疲れつつ、
実はこういう目にあったのは二回目で。
いいホテルに突然泊まることになるのも悪くはないかもと思ってみたり。

なにより、仲良くなったひとたちが、なんだかいいギフトだった。



・・・それにしても豚インフルとかの騒ぎじゃないな。
全員がマスクしているフライトアテンダントをみただけでも
けっこうびっくりしたのに。(笑)。


飛行機がコンテナを吸収するとは。


帰国が遅れたことで、ご迷惑をおかけするみなさま、ごめんなさい。


posted by まどか at 10:56| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする