ラトビアといえば。。。
バルト三国!
って教科書で習ったな。。。って
「ラトビア行く!」という度にかえってくるコメント。
出張で行くので、土曜には帰ってきます。
日本政府が主催する、
日本と、バルト三国の友好親善のためのプログラムの
セットアップ要員で行くことになりました。
バルト三国は生まれて始めて。
ロシアの影響を特に受けているところも初めてな気がします。
そこと、日本との繋がりを見つけ、それを結び付けつつ、
新たな出会いを楽しんできたいと思います。
帰ってきた土曜は、その足で、パシフィコ横浜で開催される
グリーン・エキスポへ。
http://greenexpo.jp/
「夢を捨てない働き方」という大きいテーマで、
対談をさせていただくことになりました▼
http://greenexpo.jp/docs/ge_omote_mail.pdf
ご一緒する玉田雅己さんは、
NPOバイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター(BBEDろう教育センター)の
代表理事をされている方。
企業で働きながら、週末企業でろう教育を開拓された、
力強い物語を持っていらっしゃる方です。
私はともかく、玉田さんのお話は、思いだけではなく、
実績に基づいていらして、心が動かされると思います。
対談とはいい上、いろいろお話を伺ってみたいと思っています。
ではでは、3時間後には出発ですが。いってきます。
2009年06月30日
ぜんぶの家具が、いろいろなところへ。
今回の引越しの私なりの快挙といえば、
自分の部屋にあった、すべてのもの、
例えば、ベッドとか、
母が嫁入りの時にもってきたアンティークの
大きな棚とか、鏡とか、イスとか、
小さなテーブルとか、アフリカに持っていった
バックパックとか、
そういった大型なもの、すべて
お友だちにそれぞれもらわれて行ったということ。
私の部屋は見事にからっぽ。
ぜんぶ、持って行きたいお気に入りだったけど、
新居ではどうしてもおけるところがない。
そしたら、ちゃんと、ちゃんと、
新しい持ち主が現れてくれたのでした。
実は、この快挙の裏には、
母が二週にわたって週末に開いた
オープンハウス作戦が効いていたりする。
5人家族が40年近く持っていた
店を開けるほどの食器の量と、
図書館が開けるほどの本たち。
家具はもちろん、家電、
インテリアの飾りや、絵や、楽器や、
調理器具からなにから、
いろーーんなものが、たーーーっぷりある。
安価でも売っちゃえば?という話も出たけど、
せっかく思いを持って集めたもの。
大好きな友人たちにもらってもらいたい、というのは
母のアイデアであった。
すべての戸棚をあけて、
奥にしまってあったダンボールも開けて、
全部の部屋のドアも開けて、
どうぞ好きなの持って行って!!
とずっとやっていた。
私はあまりのすごい状態に、自分の友人たちは積極的に
呼ばなかったのだが、結局最後のパーティは
ダンボールが積み重なる中、家族の繋がりのある方々が
50名以上集まった。
大切にしていたものを、
みな嬉しそうに貰って行ってくれる。
それをみて、こちらもとっても嬉しい。
自分よりバックパックの似合っている人が、
愛用してくれていたり。
いい味の出たアンティークの家具が、
幼馴染のもとへ行く。
なんだかとっても嬉しい。
今回の引越しを踏まえて、
自分の新居の冷蔵庫や洗濯機は
レンタルにした。
レンタルにすると、新品を手に入れて、
しばらく使って返した後、
それが中古のレンタルとして
リサイクルされ続ける。
ノマドな生活をする身としては、
そうやって、自分のものがいろいろ循環していくシステムが
心地がいい。自分の部屋にだって、
兄妹や友人から貰ったものが活きていたりするし。
そもそも、自分のものだから、捨ててしまおう、
って思うのってもったいないのかも。
結局、みんなのもので、必要な人、縁のある人のところへ
モノだって動いていくのが健全なのかも。
自分の部屋にあった、すべてのもの、
例えば、ベッドとか、
母が嫁入りの時にもってきたアンティークの
大きな棚とか、鏡とか、イスとか、
小さなテーブルとか、アフリカに持っていった
バックパックとか、
そういった大型なもの、すべて
お友だちにそれぞれもらわれて行ったということ。
私の部屋は見事にからっぽ。
ぜんぶ、持って行きたいお気に入りだったけど、
新居ではどうしてもおけるところがない。
そしたら、ちゃんと、ちゃんと、
新しい持ち主が現れてくれたのでした。
実は、この快挙の裏には、
母が二週にわたって週末に開いた
オープンハウス作戦が効いていたりする。
5人家族が40年近く持っていた
店を開けるほどの食器の量と、
図書館が開けるほどの本たち。
家具はもちろん、家電、
インテリアの飾りや、絵や、楽器や、
調理器具からなにから、
いろーーんなものが、たーーーっぷりある。
安価でも売っちゃえば?という話も出たけど、
せっかく思いを持って集めたもの。
大好きな友人たちにもらってもらいたい、というのは
母のアイデアであった。
すべての戸棚をあけて、
奥にしまってあったダンボールも開けて、
全部の部屋のドアも開けて、
どうぞ好きなの持って行って!!
とずっとやっていた。
私はあまりのすごい状態に、自分の友人たちは積極的に
呼ばなかったのだが、結局最後のパーティは
ダンボールが積み重なる中、家族の繋がりのある方々が
50名以上集まった。
大切にしていたものを、
みな嬉しそうに貰って行ってくれる。
それをみて、こちらもとっても嬉しい。
自分よりバックパックの似合っている人が、
愛用してくれていたり。
いい味の出たアンティークの家具が、
幼馴染のもとへ行く。
なんだかとっても嬉しい。
今回の引越しを踏まえて、
自分の新居の冷蔵庫や洗濯機は
レンタルにした。
レンタルにすると、新品を手に入れて、
しばらく使って返した後、
それが中古のレンタルとして
リサイクルされ続ける。
ノマドな生活をする身としては、
そうやって、自分のものがいろいろ循環していくシステムが
心地がいい。自分の部屋にだって、
兄妹や友人から貰ったものが活きていたりするし。
そもそも、自分のものだから、捨ててしまおう、
って思うのってもったいないのかも。
結局、みんなのもので、必要な人、縁のある人のところへ
モノだって動いていくのが健全なのかも。
2009年06月23日
20年の別れと出会い(1)
小学5年生から、
今に至るまで住んでいた実家。
その間、1人暮らしがあったり、
海外留学や海外での仕事など、
実はずっといたわけではなかったのだが、
絶対に帰ってくる場所であった自分の根っこ。
私は、ノマド(遊牧民)なんていいながら、
この大きな根っこがあるから、
自由でいられたんだと、この5ヶ月なんども痛感する。
世界中どこにいっても、帰る場所がある、
というのは、全然違う。
帰る場所があるから「旅」になるのだ。
誰が計算したか忘れたが、
年間のべ1000人は遊びに来ていたであろうという、
サロンのようだった我が家。
家族も多いので、それぞれの行事にあわせると、
いつも誰かがやってきている家だった。
どこにいても、帰ればそこに友人が集まり、
朝まで語らっていく。
ここがあれば、何でも生まれていくような、
いいエネルギーにあふれたところだった。
家族もお気に入りの場所で、
実家以上の場所は誰も見つけられなかった。
それぞれが自由でいられるつくりで、
シェアハウスのように、それぞれが好きにしていられた。
20年帰る場所でいてくれたそんな実家ともお別れ。
自分のものはすべて1人暮らしの家に持っていかないといけないため、
31年間残しておいたものは、ほとんど処分した。
その作業は予想以上にチャレンジングだったが、
引っ越し終わって、「今の自分には、これがある」というのを
はじからはじまで分かっている、というのは気持ちがいい。
自分のこだわりか、執着か分からないものや
過去の思いと向き合い続けるのは、結構体力がいるものだが、
自分ってこれ以上でも、これ以下でもないな、という感覚が
最終的に残るのが面白くもあった。
父が亡くなってからの5ヶ月は、
ほとんど人にも会わず、自分の歴史にはないようなくらいの長さと深さで、
外より内に旅し続けるようなそんな時間だった。
もちろん家のこと、父のことの整理が内にこもる仕事だったというのもあるが、
今の自分に、どうしても必要なプロセスだったのだと思う。
今日で、移転届けも出し、新しい視野も手に入れ、
明日からは、再スタートとなる、そんな気持ちでいる。
新しい出会いに関しては、またおいおい書いていきます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
今に至るまで住んでいた実家。
その間、1人暮らしがあったり、
海外留学や海外での仕事など、
実はずっといたわけではなかったのだが、
絶対に帰ってくる場所であった自分の根っこ。
私は、ノマド(遊牧民)なんていいながら、
この大きな根っこがあるから、
自由でいられたんだと、この5ヶ月なんども痛感する。
世界中どこにいっても、帰る場所がある、
というのは、全然違う。
帰る場所があるから「旅」になるのだ。
誰が計算したか忘れたが、
年間のべ1000人は遊びに来ていたであろうという、
サロンのようだった我が家。
家族も多いので、それぞれの行事にあわせると、
いつも誰かがやってきている家だった。
どこにいても、帰ればそこに友人が集まり、
朝まで語らっていく。
ここがあれば、何でも生まれていくような、
いいエネルギーにあふれたところだった。
家族もお気に入りの場所で、
実家以上の場所は誰も見つけられなかった。
それぞれが自由でいられるつくりで、
シェアハウスのように、それぞれが好きにしていられた。
20年帰る場所でいてくれたそんな実家ともお別れ。
自分のものはすべて1人暮らしの家に持っていかないといけないため、
31年間残しておいたものは、ほとんど処分した。
その作業は予想以上にチャレンジングだったが、
引っ越し終わって、「今の自分には、これがある」というのを
はじからはじまで分かっている、というのは気持ちがいい。
自分のこだわりか、執着か分からないものや
過去の思いと向き合い続けるのは、結構体力がいるものだが、
自分ってこれ以上でも、これ以下でもないな、という感覚が
最終的に残るのが面白くもあった。
父が亡くなってからの5ヶ月は、
ほとんど人にも会わず、自分の歴史にはないようなくらいの長さと深さで、
外より内に旅し続けるようなそんな時間だった。
もちろん家のこと、父のことの整理が内にこもる仕事だったというのもあるが、
今の自分に、どうしても必要なプロセスだったのだと思う。
今日で、移転届けも出し、新しい視野も手に入れ、
明日からは、再スタートとなる、そんな気持ちでいる。
新しい出会いに関しては、またおいおい書いていきます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
20年の別れと出会い(2)
ちょっと軽めの話ですが。
小学5年生から、
ずーーーっと一緒にいて、
なくては生きていけない存在があった。
悔しいかな、アフリカにいったって、
世界どこへいったって、
絶対に必要。自分の一番近くにい続けた存在。
多分数ミリの間もなく、一緒だった。
それとも今日、さよならした。
それは、、、
コンタクトレンズ(眼鏡)。
どんなに荷物を軽くしたくたって、
コンタクト用品は手放せず、
眼鏡も必需品。
家でのリラックスタイムだって、
これなしでは、リラックスすらできない。
この際の勢いでレーシックしてみました。
昨日検査をしてもらい、勢いで今日、手術。
運よく午前中が空いていた。
タイミングを逃すと、仕事に支障をきたす。
今しかなかった。
目の手術の関係で、
丸一日ノーメーク。
化粧水や香水もつけちゃいけない徹底ぷり。
完全ノーメークで、東京を歩いたことなんて、
高校生以来なのでは。。。
家でも多少気を使っていたのに、こんな日が来るとは思わなかった。
でも、意外に大丈夫だった・・・。
あ、なんだ、別にたいしたことないな、って思えて、
それはそれで新鮮。(ってこれに慣れてはいけないが。。。)
手術は、
改造人間になるようなかんじで、
びびびっと終わり、名医さんに感謝。
看護婦さん(?)たちもすごく素敵で、
いいところで、手術が出来てよかった。
手術後はぼやっとしているのだけど、
クリニックを出る頃にはなんとなく見えてきて、
すごいなあ、、、、と思う。
仕事の関係で、平日に動けるチャンスのが当分ないので、
この勢いで区役所に移転届に行った。
「手術後は、安静にしていたほうがいいよ」と
レーシック経験ありの友だちに言われていたのに、
とはいえ、今しか区役所にいけないと行ったら、えらいことに。
移転届けを記入しているうちに、
目がしばしばしてきて、
涙が滝のように出てきた!!!!!!!!!!!!!!
目が痛くて開けられないし、
涙は延々とまらない。
まわりから見たら、
「移転届けを書きながら大号泣の女性」である。
想像力豊かな人なら、
いろんな妄想が・・・。
よっぽどのことがあっての移転だろう。。。と。
(しかも30前後の女性だし。。。(笑))
係りの人に号泣しながら、
「いや、あの、手術したばかりで、ごめんなさい。
その副作用なんです」
と無駄に説明する。
そういう理由なんです、と館内放送してほしいくらい、
派手な泣きっぷりで、通る人は、なんとなく見てる。
泣いているというか、
自動に涙が流れている、というかんじ。
しかも目が開けられず、しめっぱなしで。
区役所の担当のみなさま、ごめんなさい。
よりにもよって、色々な手続きがあったので、
いろんな方に号泣っぷりを披露。
その後、銀行などにも行こうと思ったが、
涙が出すぎてめまいが起きたので、帰宅することに。
結局夕方の検診にいったら、これは、よくあることだそう。
視力も安定していたりして、実は手術後の経過はすこぶる良いようだった。
20年、いつもいつも一日欠かさず一緒だった
コンタクトレンズ、眼鏡との別れ。
そして、新しい視力で、
目を覚まして、寝るまで、
そのままでいられる自由。
この別れと、そして、出会いは、
自分をぐっと自由にしてくれた。
2009年06月04日
今年の抱負と誕生日。
年始のブログで宣言していた今年の抱負。
「今年は、「決める」年にしたいと思います。
ばーーーっと広げた昨年に対して、
責任を持って「決めていく」1年。」
そんなこと言っていて、
その時予想だにしていなかった、
大整理の6ヶ月を過ごし、
6月2日の誕生日には、
新しい仕事と
新しい住まいが決まり
いやがおうでも、
「決める」年の31歳の始まりとなったのでした。
父のことで、祖父の代からの大整理があり、
引越しに際して、自分も幼稚園時代からの身辺整理が始まり。
その先にはある程度の「決め」がないと、
すすめないこともあり、
執着か、こだわりか分からないものと向き合いながら、
できるだけ自分を身軽にする移動をしないとと思ったり。
(やはり遊牧民(ノマド)なのか・・・)
大整理の中で、孤独と対峙することは多々あるわけだが、
誕生日の日に、たくさんのメッセージをもらって
エネルギーがぐっと上がった。
興味深かったのは、
最初にメッセージが来たのは、中国をはじめとしたアジア地域から。
2日になったばかりの深夜は、「私ってアジア人の友人が多かったんだー」って
思っていたのだけど、それが、世界地図を動かすように、ヨーロッパやアメリカ、アフリカへと
移行していき、時差のタイミングでそれぞれからメッセージが送られてきた。
(日本の友人からは、一日中メッセージが届いてうれしかったー!!)
なんだか、地球の自転と共に、お祝いされている感じがして、
ここまで大変な6ヶ月だっただけに、より深く感動をしてしまった。
自由に、のびのびとやってこれたのは、
家族がいて、友人がいて、いい仲間がいるから。
そのルーツが見えなくなると、どんな自由をもらっても、
身動きがとれなくなる。
本当に、愛すべき大好きな人たちと繋がれて、
そして、それを感じられ、感謝できるお誕生日という日があって
本当によかった!
改めてありがとうです。
「今年は、「決める」年にしたいと思います。
ばーーーっと広げた昨年に対して、
責任を持って「決めていく」1年。」
そんなこと言っていて、
その時予想だにしていなかった、
大整理の6ヶ月を過ごし、
6月2日の誕生日には、
新しい仕事と
新しい住まいが決まり
いやがおうでも、
「決める」年の31歳の始まりとなったのでした。
父のことで、祖父の代からの大整理があり、
引越しに際して、自分も幼稚園時代からの身辺整理が始まり。
その先にはある程度の「決め」がないと、
すすめないこともあり、
執着か、こだわりか分からないものと向き合いながら、
できるだけ自分を身軽にする移動をしないとと思ったり。
(やはり遊牧民(ノマド)なのか・・・)
大整理の中で、孤独と対峙することは多々あるわけだが、
誕生日の日に、たくさんのメッセージをもらって
エネルギーがぐっと上がった。
興味深かったのは、
最初にメッセージが来たのは、中国をはじめとしたアジア地域から。
2日になったばかりの深夜は、「私ってアジア人の友人が多かったんだー」って
思っていたのだけど、それが、世界地図を動かすように、ヨーロッパやアメリカ、アフリカへと
移行していき、時差のタイミングでそれぞれからメッセージが送られてきた。
(日本の友人からは、一日中メッセージが届いてうれしかったー!!)
なんだか、地球の自転と共に、お祝いされている感じがして、
ここまで大変な6ヶ月だっただけに、より深く感動をしてしまった。
自由に、のびのびとやってこれたのは、
家族がいて、友人がいて、いい仲間がいるから。
そのルーツが見えなくなると、どんな自由をもらっても、
身動きがとれなくなる。
本当に、愛すべき大好きな人たちと繋がれて、
そして、それを感じられ、感謝できるお誕生日という日があって
本当によかった!
改めてありがとうです。
2009年05月14日
【次の関門】豚インフルエンザ
飛行機に、コンテナがつまって帰ってこれなくなったけれども、
次の日に飛行機で帰国するにあたって、まだ関門があったことに気がつく。
豚インフルエンザ。
本当に、
無事に帰ってきたからのんきにブログをかけるけれども、
実際、この11日のアメリカ滞在中のことなんて
書くことも出来ず。うっかり感染して帰ってきたら、
非国民扱いされるのではないかと。。。
ちょうど出国した11日前くらいは、
メディアでどれだけ騒がれていたかは皆様、ご存知の通り。
出発直前に、
感染疑いの人がラップにくるまれている写真とかみて、
結構どんびき。
JALの飛行機では、飛行機に載った途端、
豚インフルの現状をNHKとCNNで伝えているものを
ご丁寧に見せてくれ、つばを飲み込む勢い。
だいたいGW中なのに、私の人生史上最もすいている
成田空港を目撃し、がらんがらんで、あまりに人がいなさすぎるから、
店員さんやら、税関の人とおしゃべりしちゃうくらい。
ロスについたら、テレビで見た青いマスクの人々がちらほら。
なんだかリアルになってくる。
でも、それでもここに来ても大丈夫と思えるのは、
現地の友だちたちがいるから。
日本では911か!?っていう位、連日メディアで
深刻に報道され、日本では感染者がひとりもいないのに、
恐怖ウィルスの真っ只中にいるような状態だった。
でも、案の上、アメリカでもメキシコでも
そんなものは、現地の友だちにいわせればどこ吹く風、のことで、
普通のインフルエンザでも毎年何万人も死んでいるのに、
「豚」とついただけで、こんなに騒がれることを不思議がる。
むしろ、どこ吹く風にならないのは、
政府やメディアの過熱報道ゆえに、
観光客がまったくこなくなったメキシコ。
観光業で成り立っているのに、
彼らの町にくるクルーズも全部中止。
お客さんがまったくこない、という都市も少なくない。
現地の人たちは元気で、明るく働く気があろうとも、
誰も現場に来てくれないのだ。
メキシコから来た、というだけで、彼らを隔離した国もある。
人の命を守ることは政府やWHOの役割であり、
大切なことだと思う。また国々で情報をシェアし合い、
感染の拡大を抑えたことはすばらしいことだろう。
21世紀だからこそ出来たことかもしれない。
ただ、一方で、
不安を煽るようなメディアや政府の態度が、
「メキシコ」とひとくくりにされてしまう、
メキシコ全土に広まった人たちの
生活をどれだけ圧迫していることか。
実際は、感染者の数から言えば、
ロスやラスベガスなど、私が滞在した都市の方が、
メキシコの片田舎より多かったりするのだが、
「メキシコが危ない」というステレオタイプの元には
そんなことも関係ない。
メキシコの友だちは、
「大丈夫?」といわれることにだって怒りを感じている模様。
大丈夫に決まっているだろ!!と。
Up with Peopleのメキシコツアーも大統領謁見のイベントが
予定されながらも、全都市中止。
ショーをやるときに、人がひとつの場所に集まることが危険とされ、
スポンサーから断りの申し出が来た。
とはいえ、危険だという地域に乗り込むからには、
絶対に感染しないというセルフコントロールが必要。
帰国前の数日間は、
多分、プロボクサーの試合前調整並に、
生まれて始めて、こんなに体に気を使う日々を送った。
ビタミン剤をカリカリたべ、
ビタミンジュースをごくごく飲み、
お酒を飲んで喉が焼けると、成田で誤解を受けるかもしれないと、
お酒も控え、その代わりに喉を温めるスープを飲んだり。
夜は、元気にも関わらず、首にタオルを巻いて、風邪を予防。
豚インフルには絶対にかからない自信があったが、
成田で、疑いでもなんでも、ホテルや病院送りになるのも勘弁!と
思っていたし、メディアで十分すぎるほど、そういう可能性があるのを
見ていたから。
体調はすこぶるいいのに、
なんで帰国に、こんなに緊張しなきゃならないんだ、と思いつつ、
そういう地域に足を踏み入れた責任とプライド(?)で
かなり頑張ってしまった。
でも、実は、このメンタリティは
「(万が一でも感染して)人に迷惑を絶対にかけてはいけない」
と思う、日本人独特のものではないかと思う。
いくら安全で、問題がないと分かってはいても、
周りに申し訳ない。日本人として、リスクをとるべきではないのだろうか、
とか、意外にもこんな気持ちが何度か出てきた。
アメリカ、メキシコのの友人達と話していると、そういうメンタリティに
驚かれるし、それが日本なのだね、と言われてしまう。
そして、それを否めないしね。
ある意味、日本独自のよく出来た教育(洗脳?)である。
ロスについたら、ロス帰りの人が感染疑いのニュースがながれ、
ラスベガスについたら、同じようなのがラスベガス帰りの人で起きたとニュースがながれ、
その後渡航予定の場所はすべてリスクがあるようにさえ感じた。
JALのフライトアテンダントがみんなマスクをしていたり、
成田に着陸するなり、青い服と白い大きなマスクをした人たちが
乗客の健康状態をチェックしたり。
普段では見られない、なかなか緊張する光景である。
こんなに緊張度の高い渡航が今まであっただろうか。いやない。
まあ、無事に帰ってきたからブログにかけるのだが、
この報道や一連の動きに関しては、
納得するところと、なんだかすっきりしないものがふたつ残った。
最後に、
一日もはやく、メキシコに観光客が戻り、
元気で明るいメキシコ人の人たちの生活がもっと明るくなるように祈ります。
次の日に飛行機で帰国するにあたって、まだ関門があったことに気がつく。
豚インフルエンザ。
本当に、
無事に帰ってきたからのんきにブログをかけるけれども、
実際、この11日のアメリカ滞在中のことなんて
書くことも出来ず。うっかり感染して帰ってきたら、
非国民扱いされるのではないかと。。。
ちょうど出国した11日前くらいは、
メディアでどれだけ騒がれていたかは皆様、ご存知の通り。
出発直前に、
感染疑いの人がラップにくるまれている写真とかみて、
結構どんびき。
JALの飛行機では、飛行機に載った途端、
豚インフルの現状をNHKとCNNで伝えているものを
ご丁寧に見せてくれ、つばを飲み込む勢い。
だいたいGW中なのに、私の人生史上最もすいている
成田空港を目撃し、がらんがらんで、あまりに人がいなさすぎるから、
店員さんやら、税関の人とおしゃべりしちゃうくらい。
ロスについたら、テレビで見た青いマスクの人々がちらほら。
なんだかリアルになってくる。
でも、それでもここに来ても大丈夫と思えるのは、
現地の友だちたちがいるから。
日本では911か!?っていう位、連日メディアで
深刻に報道され、日本では感染者がひとりもいないのに、
恐怖ウィルスの真っ只中にいるような状態だった。
でも、案の上、アメリカでもメキシコでも
そんなものは、現地の友だちにいわせればどこ吹く風、のことで、
普通のインフルエンザでも毎年何万人も死んでいるのに、
「豚」とついただけで、こんなに騒がれることを不思議がる。
むしろ、どこ吹く風にならないのは、
政府やメディアの過熱報道ゆえに、
観光客がまったくこなくなったメキシコ。
観光業で成り立っているのに、
彼らの町にくるクルーズも全部中止。
お客さんがまったくこない、という都市も少なくない。
現地の人たちは元気で、明るく働く気があろうとも、
誰も現場に来てくれないのだ。
メキシコから来た、というだけで、彼らを隔離した国もある。
人の命を守ることは政府やWHOの役割であり、
大切なことだと思う。また国々で情報をシェアし合い、
感染の拡大を抑えたことはすばらしいことだろう。
21世紀だからこそ出来たことかもしれない。
ただ、一方で、
不安を煽るようなメディアや政府の態度が、
「メキシコ」とひとくくりにされてしまう、
メキシコ全土に広まった人たちの
生活をどれだけ圧迫していることか。
実際は、感染者の数から言えば、
ロスやラスベガスなど、私が滞在した都市の方が、
メキシコの片田舎より多かったりするのだが、
「メキシコが危ない」というステレオタイプの元には
そんなことも関係ない。
メキシコの友だちは、
「大丈夫?」といわれることにだって怒りを感じている模様。
大丈夫に決まっているだろ!!と。
Up with Peopleのメキシコツアーも大統領謁見のイベントが
予定されながらも、全都市中止。
ショーをやるときに、人がひとつの場所に集まることが危険とされ、
スポンサーから断りの申し出が来た。
とはいえ、危険だという地域に乗り込むからには、
絶対に感染しないというセルフコントロールが必要。
帰国前の数日間は、
多分、プロボクサーの試合前調整並に、
生まれて始めて、こんなに体に気を使う日々を送った。
ビタミン剤をカリカリたべ、
ビタミンジュースをごくごく飲み、
お酒を飲んで喉が焼けると、成田で誤解を受けるかもしれないと、
お酒も控え、その代わりに喉を温めるスープを飲んだり。
夜は、元気にも関わらず、首にタオルを巻いて、風邪を予防。
豚インフルには絶対にかからない自信があったが、
成田で、疑いでもなんでも、ホテルや病院送りになるのも勘弁!と
思っていたし、メディアで十分すぎるほど、そういう可能性があるのを
見ていたから。
体調はすこぶるいいのに、
なんで帰国に、こんなに緊張しなきゃならないんだ、と思いつつ、
そういう地域に足を踏み入れた責任とプライド(?)で
かなり頑張ってしまった。
でも、実は、このメンタリティは
「(万が一でも感染して)人に迷惑を絶対にかけてはいけない」
と思う、日本人独特のものではないかと思う。
いくら安全で、問題がないと分かってはいても、
周りに申し訳ない。日本人として、リスクをとるべきではないのだろうか、
とか、意外にもこんな気持ちが何度か出てきた。
アメリカ、メキシコのの友人達と話していると、そういうメンタリティに
驚かれるし、それが日本なのだね、と言われてしまう。
そして、それを否めないしね。
ある意味、日本独自のよく出来た教育(洗脳?)である。
ロスについたら、ロス帰りの人が感染疑いのニュースがながれ、
ラスベガスについたら、同じようなのがラスベガス帰りの人で起きたとニュースがながれ、
その後渡航予定の場所はすべてリスクがあるようにさえ感じた。
JALのフライトアテンダントがみんなマスクをしていたり、
成田に着陸するなり、青い服と白い大きなマスクをした人たちが
乗客の健康状態をチェックしたり。
普段では見られない、なかなか緊張する光景である。
こんなに緊張度の高い渡航が今まであっただろうか。いやない。
まあ、無事に帰ってきたからブログにかけるのだが、
この報道や一連の動きに関しては、
納得するところと、なんだかすっきりしないものがふたつ残った。
最後に、
一日もはやく、メキシコに観光客が戻り、
元気で明るいメキシコ人の人たちの生活がもっと明るくなるように祈ります。
2009年05月12日
【帰国できず】ロス空港でJAL機がコンテナ吸い込む
実はアメリカにしばらくいたのですが、
ようやくの帰国。しかも、JAL♪と思っていたら、
思いっきりスタックをくらいました。
飛行機のエンジンに、コンテナがつまるってなんやねん!って
言葉じゃわからないと思うので、こちらをどうぞ↓
http://www.asahi.com/international/update/0512/TKY200905120299.html
http://www.dailybreeze.com/news/ci_12346101
飛行機はふつーに走り出していて、
私は、空気クッション作って居眠りしていたら、
いつの間にか飛行機は止まっていて、
「第一エンジンにトラブル発生。
荷物全部もって、外に出てください」
とのアナウンス。
???
と思いながら263人の乗客と外に出てびっくり。
エンジンにコンテナが詰まっている!!
なんでだ!!!(みんなで写真とりまくり)
そのまま7時間ほど空港でスタックをくらい、
最終的に今はヒルトンホテルの一室で
ひさびさのブログ更新中。
帰国チケットを手に入れるために、
長い列を並んだ仲間達と
すっかり仲良くなり、
お詫びにもらった空港の食券で飲み会してから
ホテルへ。
マスメディアもあとからあとから来て、
FOXとか、インタビューとかいろいろあって。
かなり笑えた。
なぜか日本人は(豚インフルのせい?)少なく、
「JALめーっ(怒)」と怒っている外国人(ここでは私が外国人だけど)を
見ながらすみません、と日本人代表で思ってみたり。
一緒にいたのが、アメリカ人の弁護士だったので、結構迫力ありました。
JAL訴えられないかな、ハラハラ。
ヒルトンのホテルで、夕飯と朝ごはんもついて、明日帰れること。(もちろんJALが提供)
なんだかどっと疲れつつ、
実はこういう目にあったのは二回目で。
いいホテルに突然泊まることになるのも悪くはないかもと思ってみたり。
なにより、仲良くなったひとたちが、なんだかいいギフトだった。
・・・それにしても豚インフルとかの騒ぎじゃないな。
全員がマスクしているフライトアテンダントをみただけでも
けっこうびっくりしたのに。(笑)。
飛行機がコンテナを吸収するとは。
帰国が遅れたことで、ご迷惑をおかけするみなさま、ごめんなさい。
ようやくの帰国。しかも、JAL♪と思っていたら、
思いっきりスタックをくらいました。
飛行機のエンジンに、コンテナがつまるってなんやねん!って
言葉じゃわからないと思うので、こちらをどうぞ↓
http://www.asahi.com/international/update/0512/TKY200905120299.html
http://www.dailybreeze.com/news/ci_12346101
飛行機はふつーに走り出していて、
私は、空気クッション作って居眠りしていたら、
いつの間にか飛行機は止まっていて、
「第一エンジンにトラブル発生。
荷物全部もって、外に出てください」
とのアナウンス。
???
と思いながら263人の乗客と外に出てびっくり。
エンジンにコンテナが詰まっている!!
なんでだ!!!(みんなで写真とりまくり)
そのまま7時間ほど空港でスタックをくらい、
最終的に今はヒルトンホテルの一室で
ひさびさのブログ更新中。
帰国チケットを手に入れるために、
長い列を並んだ仲間達と
すっかり仲良くなり、
お詫びにもらった空港の食券で飲み会してから
ホテルへ。
マスメディアもあとからあとから来て、
FOXとか、インタビューとかいろいろあって。
かなり笑えた。
なぜか日本人は(豚インフルのせい?)少なく、
「JALめーっ(怒)」と怒っている外国人(ここでは私が外国人だけど)を
見ながらすみません、と日本人代表で思ってみたり。
一緒にいたのが、アメリカ人の弁護士だったので、結構迫力ありました。
JAL訴えられないかな、ハラハラ。
ヒルトンのホテルで、夕飯と朝ごはんもついて、明日帰れること。(もちろんJALが提供)
なんだかどっと疲れつつ、
実はこういう目にあったのは二回目で。
いいホテルに突然泊まることになるのも悪くはないかもと思ってみたり。
なにより、仲良くなったひとたちが、なんだかいいギフトだった。
・・・それにしても豚インフルとかの騒ぎじゃないな。
全員がマスクしているフライトアテンダントをみただけでも
けっこうびっくりしたのに。(笑)。
飛行機がコンテナを吸収するとは。
帰国が遅れたことで、ご迷惑をおかけするみなさま、ごめんなさい。
2009年04月21日
【お誘い】『20円』で世界をつなぐサロン
今週の金曜日に、
Table for Twoの事務局長の小暮氏を囲んで
こんなサロンを行います。
社食で、コンビニで、メディアで
話題になっているTable for Twoのアイデアをシェアしながら、
小暮氏の執筆秘話を伺いながら、金曜の夜のひと時を過ごしませんか?
==================================================
「あなたと一緒に 『20円』で世界をつなぎたい!」
第1回イベント開催のご案内
4月24日(金)午後7時30分スタート!
==================================================
この度、「ONE FOR TWO 〜 evening to share happiness with」
というテーマで、4月24日(金)の午後7時30分から、六本木の
りそな銀行ミッドタウン支店のホールをお借りして、小さなイベント
を開催することになりました。
手にするひとつのもの、感動、幸せを、世界の誰かと分け合うこと。
こんなにすばらしいこと、そしてワクワクすること、ないですよね。
このイベントは、私の友人の小暮真久氏が「『20円』で世界をつなぐ
仕事」という本を出版したタイミングで、この本が伝えたい
「ONE FOR TWO」の喜びを、みんなで楽しく体験しようという企画
です。
ぜひご参加ください。
なお、ご参加いただける方は、お手数ですが、以下のアドレスから
参加申し込みをお願いいたします。
http://ameblo.jp/fortwo/entry-10239517574.html
★なお、当日はちょっとした「しくみ」も用意されています。
ご参加いただける方はこのメールの下の方にご紹介させていただいて
おります。お目通しいただければ幸いです。
2009年4月
「あなたと一緒に 『20円』で世界をつなぎたい!」
ファウンダー・グループより
記
日時:4月24日(金)午後7時半から午後9時半
会場:りそな銀行東京ミッドタウン支店
東京都港区赤坂9丁目7番1号ミッドタウン・タワー3階
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=4&grp=resona&ino=BA703661
参加費:4,000円 (飲み物、スナック込)
※「『20円』で世界をつなぐ仕事」1冊分を含みます
定員:40名 (定員になり次第締め切らせていただきます)
ご参加のお申し込みは以下のアドレスから入力ください。
http://ameblo.jp/fortwo/entry-10239517574.html
*************************
【しくみのご紹介】
■「ONE FOR TWO」のしくみ
「『20円』で世界をつなぐ仕事」を読んで、ここにこめられた想い、
ここから感じた想いをどんな人とシェアしたいと感じましたか?
このイベントでは、あなたの「シェアしたい!」という気持ちを
楽しく実現するためのしくみを用意しています!
●会場からあの人に送ろう!
この本をシェアしたい「あの人」をイメージしてご来場ください。
会場受付にて「『20円』で世界をつなぐ仕事」1冊とメッセージカード、
郵送用パッケージをお渡しさせていただきます。
当日のイベント中にお時間を設けますので、その場でメッセージと
送り先をご記入の上、特設の集荷箱にお入れください。
後日、私どもが皆様に代わって郵送いたします。
具体的な送り先を思いつかない方は、「こんなところ」、「あんなところ」
と書いていただければOKです(*)。
●しくみ2:「シェアしたい」をシェアしよう!
あなたなりの「シェアしたい」ストーリーをシェアしてください!
「この本をこんなところに贈ったら?」というアイディアがある方、
ぜひそのお話を会場でお聞かせください。
もし、すぐに思い浮かんだ方、ブログ(http://ameblo.jp/fortwo/ )に
書き込んでいただいてもOKです。是非、ご覧ください。
(*)具体的な送り先の指定がない方のパッケージは、こうして集まった
皆様からのアイディアをもとに、私どもが送り先を記入し、お送りさせて
いただきます。
それでは、ぜひぜひ、ご参加をお待ちしています。
以上
Table for Twoの事務局長の小暮氏を囲んで
こんなサロンを行います。
社食で、コンビニで、メディアで
話題になっているTable for Twoのアイデアをシェアしながら、
小暮氏の執筆秘話を伺いながら、金曜の夜のひと時を過ごしませんか?
==================================================
「あなたと一緒に 『20円』で世界をつなぎたい!」
第1回イベント開催のご案内
4月24日(金)午後7時30分スタート!
==================================================
この度、「ONE FOR TWO 〜 evening to share happiness with」
というテーマで、4月24日(金)の午後7時30分から、六本木の
りそな銀行ミッドタウン支店のホールをお借りして、小さなイベント
を開催することになりました。
手にするひとつのもの、感動、幸せを、世界の誰かと分け合うこと。
こんなにすばらしいこと、そしてワクワクすること、ないですよね。
このイベントは、私の友人の小暮真久氏が「『20円』で世界をつなぐ
仕事」という本を出版したタイミングで、この本が伝えたい
「ONE FOR TWO」の喜びを、みんなで楽しく体験しようという企画
です。
ぜひご参加ください。
なお、ご参加いただける方は、お手数ですが、以下のアドレスから
参加申し込みをお願いいたします。
http://ameblo.jp/fortwo/entry-10239517574.html
★なお、当日はちょっとした「しくみ」も用意されています。
ご参加いただける方はこのメールの下の方にご紹介させていただいて
おります。お目通しいただければ幸いです。
2009年4月
「あなたと一緒に 『20円』で世界をつなぎたい!」
ファウンダー・グループより
記
日時:4月24日(金)午後7時半から午後9時半
会場:りそな銀行東京ミッドタウン支店
東京都港区赤坂9丁目7番1号ミッドタウン・タワー3階
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=4&grp=resona&ino=BA703661
参加費:4,000円 (飲み物、スナック込)
※「『20円』で世界をつなぐ仕事」1冊分を含みます
定員:40名 (定員になり次第締め切らせていただきます)
ご参加のお申し込みは以下のアドレスから入力ください。
http://ameblo.jp/fortwo/entry-10239517574.html
*************************
【しくみのご紹介】
■「ONE FOR TWO」のしくみ
「『20円』で世界をつなぐ仕事」を読んで、ここにこめられた想い、
ここから感じた想いをどんな人とシェアしたいと感じましたか?
このイベントでは、あなたの「シェアしたい!」という気持ちを
楽しく実現するためのしくみを用意しています!
●会場からあの人に送ろう!
この本をシェアしたい「あの人」をイメージしてご来場ください。
会場受付にて「『20円』で世界をつなぐ仕事」1冊とメッセージカード、
郵送用パッケージをお渡しさせていただきます。
当日のイベント中にお時間を設けますので、その場でメッセージと
送り先をご記入の上、特設の集荷箱にお入れください。
後日、私どもが皆様に代わって郵送いたします。
具体的な送り先を思いつかない方は、「こんなところ」、「あんなところ」
と書いていただければOKです(*)。
●しくみ2:「シェアしたい」をシェアしよう!
あなたなりの「シェアしたい」ストーリーをシェアしてください!
「この本をこんなところに贈ったら?」というアイディアがある方、
ぜひそのお話を会場でお聞かせください。
もし、すぐに思い浮かんだ方、ブログ(http://ameblo.jp/fortwo/ )に
書き込んでいただいてもOKです。是非、ご覧ください。
(*)具体的な送り先の指定がない方のパッケージは、こうして集まった
皆様からのアイディアをもとに、私どもが送り先を記入し、お送りさせて
いただきます。
それでは、ぜひぜひ、ご参加をお待ちしています。
以上
2009年03月28日
記憶が飛ぶ2ヶ月。
天変地異とはこのことで。
父が他界してから、
49日までの日々は、
記憶が飛ぶほど
混乱期で、先の見えない
挑戦、調整に、
チャレンジングな毎日だった。
色々な条件が重なり、
緊張と学びの連続。
体中に緊張が走っているのを
感じつつ、
食べ物の味も感じないような状態。
ストレスが溜まると、
人は眠れないのだ、と実感。
このプロセスで、出会う人々は皆、
心優しく、精一杯サポートして下さろうとして
心から感謝でいっぱい。
その力があったからこそ、どうにか進めたのだけど、
やっぱり、大変なものは、大変。
49日とは、
宗教上、意味があって定められている日なわけだが、
本当に、49日という長さをよく先人は選んだ、と思うことがあった。
落ち着くころには桜が見れるよ、
と友だちに励まされた1月、父が亡くなった直後は、
全く先が見えなかった。
そして、天変地異対応の7週間。
学び、学びの連続と、緊張。
怒涛の日々だった。
不思議と、48日目に、
様々なことが、ばん、ばん、ばん、
と音を立てるように、完了し、
ゴールが見えなかった作業が
見事にひと段落着いた。
(今もなお続いてはいるけど)
夢から覚めたような不思議な感覚。
嘘のように、ぴったりと48日目で整理がつき、
京都での法事、49日を迎えることが出来た。
家族より1日早く京都入りし、
法事の準備と、そして、父をしのぶひとり京都時間を過ごした。
お寺や神社を一日まわり、梅が咲く京都をじっくり過ごす。
父が亡くなってから、その日までの、慌しい日々から離れ、
ただ、じっくり父との時間を過ごすことができたように思う。
京都があるから、自分に戻れる、そんな気までした。
49日が終わってからすぐに、疲れがでてばったり倒れたが、
その後、信じられないギフトが待っていた・・・。
そして、"Home Island"伊江島へ
「まどかちゃん、伊江島でゆっくりしたらええよ〜」
と、沖縄の離島、伊江島で島活性化に関わる友人から、突如誘われる。
東京の大好きな友人が、その人とつなげてくれて、突如、伊江島に行くことになる。
49日までの嵐のような日々で、
あまりのストレスに、「ああ・・・南の島に逃亡したい・・・」
と口癖のようにぼやいていた私。
まさか、49日が終わって、突如それが叶うとは。
しかも、
伊江島を一緒に盛り上げるための、
「モニター」として選んでもらえた。
つまり、この沖縄、伊江島の旅、
ご招待でいくことになったのだ。
さすがに、嵐の日々の中で、自力で
南の島にいくチケットを取る気力も、
自腹で逃亡する勇気もなかったときだった。
そんな時の
友人からの「沖縄・伊江島:ご招待モニターツアー」。
49日の直後、2日間寝込み、
それまで家族のことで頭がいっぱいだった私が、
我に返ったときには、
もう、沖縄についていた。
そこには、沖縄地元の人々。
1日目から、沖縄で元気な会社訪問や社長さんにお目にかかり、
環境ががらりと変わる。
そして、2日目は、
沖縄本島からフェリーで1時間の伊江島というところに着く。
着いたとたんに、その足で、伊江島のシンボルである山に登り、島を一望する。
初対面の25人ほどの、モニターツアーの参加の方々と交流しながら、
バスで、合宿所に到着。
地元で取れた
イカで出来たイカ墨スパゲティや、
フルーツトマトやキャベツのサラダ、
地元の牛肉を使ったシチューなどが出てきて、
その美味しさに感動。
それをいただきながら、
伊江島の漁師さんであり、島活性化のリーダーである方に、
なぜ、今、こういう動きをされているのかを伺う。
彼の
『ライフライン(ガスや電気、水など)が絶たれたら、お前はどうやって生きていくのか。
応えてみろ』
というキツイ質問から始まり、
「生きる力」を
考えさせ、学ばせる話に刺激を受け、
人間としてのシンプルなところを
深く感じることが出来た。
家族のことが揺らぐと、
自分の基盤も揺らぐ。
揺らいでいるのか、からっぽなのか、
わけもわからず走ってきて、
沖縄で我に返った私は、
伊江島についた夜、
なんだか自分に戻ってきているのを感じた。
初対面の人たちに、自己紹介をたくさんする中で、
自分が何者かを何度も話す中で。
地元の、そのままのエネルギーいっぱいの
食べ物が体に入っていくのを感じる中で。
まだ、整備されていない
ありのままの自然に、そのまま、
囲まれながら。
自分の夢を大切にして、まわりの人たちの夢を
全力で応援しながら、生きている参加者の人々の
その力強い振動を浴びながら。
初対面だけど、
やっぱりそういう人たちは、
みんな繋がっていて、知り合いの知り合い、
友だちの友だちばかりだって気がついて、
ワクワクしながら。
気がついたら
あれ、
私だ、
って思えた。
力もなくなってペタンコだったのに。
すごい。
↓海辺のアオサ(青海苔)は、その場で採って、海水でゆすいでそのまま食べる。美味しい。
と、沖縄の離島、伊江島で島活性化に関わる友人から、突如誘われる。
東京の大好きな友人が、その人とつなげてくれて、突如、伊江島に行くことになる。
49日までの嵐のような日々で、
あまりのストレスに、「ああ・・・南の島に逃亡したい・・・」
と口癖のようにぼやいていた私。
まさか、49日が終わって、突如それが叶うとは。
しかも、
伊江島を一緒に盛り上げるための、
「モニター」として選んでもらえた。
つまり、この沖縄、伊江島の旅、
ご招待でいくことになったのだ。
さすがに、嵐の日々の中で、自力で
南の島にいくチケットを取る気力も、
自腹で逃亡する勇気もなかったときだった。
そんな時の
友人からの「沖縄・伊江島:ご招待モニターツアー」。
49日の直後、2日間寝込み、
それまで家族のことで頭がいっぱいだった私が、
我に返ったときには、
もう、沖縄についていた。
そこには、沖縄地元の人々。
1日目から、沖縄で元気な会社訪問や社長さんにお目にかかり、
環境ががらりと変わる。
そして、2日目は、
沖縄本島からフェリーで1時間の伊江島というところに着く。
着いたとたんに、その足で、伊江島のシンボルである山に登り、島を一望する。
初対面の25人ほどの、モニターツアーの参加の方々と交流しながら、
バスで、合宿所に到着。
地元で取れた
イカで出来たイカ墨スパゲティや、
フルーツトマトやキャベツのサラダ、
地元の牛肉を使ったシチューなどが出てきて、
その美味しさに感動。
それをいただきながら、
伊江島の漁師さんであり、島活性化のリーダーである方に、
なぜ、今、こういう動きをされているのかを伺う。
彼の
『ライフライン(ガスや電気、水など)が絶たれたら、お前はどうやって生きていくのか。
応えてみろ』
というキツイ質問から始まり、
「生きる力」を
考えさせ、学ばせる話に刺激を受け、
人間としてのシンプルなところを
深く感じることが出来た。
家族のことが揺らぐと、
自分の基盤も揺らぐ。
揺らいでいるのか、からっぽなのか、
わけもわからず走ってきて、
沖縄で我に返った私は、
伊江島についた夜、
なんだか自分に戻ってきているのを感じた。
初対面の人たちに、自己紹介をたくさんする中で、
自分が何者かを何度も話す中で。
地元の、そのままのエネルギーいっぱいの
食べ物が体に入っていくのを感じる中で。
まだ、整備されていない
ありのままの自然に、そのまま、
囲まれながら。
自分の夢を大切にして、まわりの人たちの夢を
全力で応援しながら、生きている参加者の人々の
その力強い振動を浴びながら。
初対面だけど、
やっぱりそういう人たちは、
みんな繋がっていて、知り合いの知り合い、
友だちの友だちばかりだって気がついて、
ワクワクしながら。
気がついたら
あれ、
私だ、
って思えた。
力もなくなってペタンコだったのに。
すごい。
↓海辺のアオサ(青海苔)は、その場で採って、海水でゆすいでそのまま食べる。美味しい。
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